【7月25日投稿分】
檀家の男性が「神戸で6歳の男の子が、虐待されて殺された事件ですが、凶器で激しく殴られた打撲痕が10箇所以上もあったとか。警察に複数の鉄パイプが部屋内から押収されたんだってね。加害者は、母親とその弟と双子の妹だってよ。産みの母親と、叔父と叔母だよ。押し入れに断続的に押し込め、虐待し続けていたと。この様な話を聞く度に、この事件と同じとまでは言わないが、虐待されて育った子供時代の、私の事が脳裏を過ります。子供は生まれる時に、何の選択権もなく『これがあなたの親』と有無も言わさず、押し付けられる。生まれた途端に、いきなり目の前に地獄、極楽が。私も子供の頃は『何でこんな親の元に』と、定を恨んだ事もありましたが『そんな事を言っても仕方がない。親は親、子供は子供』と社会に出てからは、自分の人生だけに心を向ける様に努めました」と。
更に、この檀家男性が「虐待されて育った子供が、親になってわが子を虐待するは、統計上から見ても、少なからずと。子供の頃は『こんな親には、絶対にならんぞ』と親を否定していたにも関わらず、知らず知らずにそれが身に付いていて、いつしか親と同じ様な事(虐待)をわが子にする様になると。住職が度々法話の中で『親が作った家庭環境で、その親が育てる。親と同じ様な人間になる確率が高いは、当然の流れ』と。何か、わかる様な気がします。『自分も1歩間違えたら』と感じる事が偶にあります。私は常にその事を心に言い聞かせながら、子育てをしております、虐待に限らず、知人達を見ても、お金にルーズな親の元で育った子供は、やはりお金にルーズが多いですもんね。当に『躾(しつけ)は、する物ものではない。躾は、見せるもの』ですよね。良い事も、悪い事も」と。
対し、拙僧「そうだよね。自分は自分、人(他者)は人、だもんね。『常識じゃ、考えられん』と嘆いたって、一定数こんな人間(虐待する親)は、必ず存在しております。問題の根本は教育ですが、法律で厳しく規制していくしかないですよね。人の命の話ですもんな。英国人に嫁いで25年以上、ロンドンに住んでいる妻の妹が言っておりましたが、英国では、3歳以上の子供と親が、一緒に風呂に入っていると、性的虐待を疑われ、近所から通報され、警察が有無も言わさず、家の中に乗り込んでくると。妻の妹も1度、子供と一緒に風呂に入っていて、近所から通報され、警察が乗り込んできたと。が、母親が日本人だとわかると、日本の習慣を理解されている様で、引き上げて行かれると。子供に対する虐待に関しても、国が速攻介入し、親から子供を引き離し、施設に保護すると。妻の妹が言うには『子供は、神の子』という考え方から『あなたは親として相応しくない』という徹底した考えの元で、国家は動いているのではないか、との見解を」と。
この檀家男性が「英国の様に、ドカドカと家の中に、乗り込んで来るが良いとは言いませんが、この度の神戸の様な残忍な事件が頻繁に起こっている以上、日本もある程度は、その様な権限を、警察に与えるも必要なのではないか、と思うんですよね。恐らくニュースになっているは、氷山の一角ではなかろうかと。無抵抗の幼児、無抵抗のご老人、の命の存続の問題にて、政治家さんには真剣にこの問題を討論して頂きたいものですね。死んだ(殺された)後で議論するでなく、死なないで(殺されないで)済む方策を、考える方が先ではないかと、そう思うんですけどね」と。
更に、この檀家男性が「住職の法話の受け売りですが、釈尊が2500年前に『人間、生まれを問うな、育ちを問え』と、教育の大事さを世間に説かれたでしょ。教育、教養なきが故に、様々な問題が引き起こされていると。当に、世の安定、安穏は教育ですよね。それと法律に関しては、紀元前1700年頃、古代バビロニア帝国の初代国王、ハンムラビ王が『目には目を、歯には歯を』の法典を。無法者を取り締まる為に。この法律は『やられたら、やっちまえ』と復讐を煽っている様に勘違いされてますが、実は『同じ程度の復習をするにとどめなさい』と制限(抑止の意図)を施しているもの。という事は、されただけは、して返してよい、と。虐待されて、無惨に殺された無抵抗の幼児、ご老人の報道がある度に『その人にした(虐待)様に、まったく同じ事をして返してやれ。されば、虐待しながら、捕まったら今度は、俺がこんな目に遭わされるのか』と、少しは考える様になるんじゃないかと」と。
続けて、この男性が「この私の考え方が、正しいとは思いませんよ。思いませんが、何の罪もない人が殺されていく姿を見ると、何かしら阻止する方策を見つけないとですね。日本は、事件が起こらないと、警察は動きませんもんね。こんな意見を言うと『虐待されて育ったが為に、そんな人間になった可哀想な人もいるんだぞ』とか『育児ノイローゼで、そんな行為に至った、可哀想な人もいるんだぞ』と反論してくる人達が必ず出てきます。確かに、加害者にも可哀想な境遇の人はおられるでしょうが、何の罪もなく殺された人の事を思いますとね。被害者(命を奪われた人)よりも加害者(命を奪った人、生きている人)の方が、人権を盾に擁護される世の中って、どう考えてもおかしいと思いませんか。殺された人はもう死んでいるので、人権を考える必要がないって事なのかな。それじゃ、あまりに、被害者とその家族が可哀想ですよね」と。
この檀家男性ですが、言いたい放題の事を言っている様に、聞こえている読者もおられるでしょうが、それは、それは、親からひどい虐待を受けてきた人でして。この男性は自らで心の闇を克服し、今では親のお墓参り、親の年忌法要も、滞りなく勤めております。ただ、ただ『虐待をしない、させない、の世界を作りたい』を常に。「私は自力で立ち直せましたが、そんな人ばかりでは。虐待されてきた人間にしかわからんものがありますよ、住職」と、時折溢すように言葉を。
石川五右衛門さんが辞世で「浜の真砂が尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ」の言葉を、後世に残されましたよね。いじめも虐待も、人間が存在し続ける以上は、絶える事はないでしょうね。『人よりも優位に立ちたい』という意識は、大なり小なり誰しもが、必ず持っているもの。なれば、決め事(法律)で抑えていくしか。人の命(幸せ)の問題ですもんね。綺麗事で片付けられる問題では。
【教育とA I 】
この檀家男性が「住職、その教育についてですが、少し話はズレますが、実はA I の事です。先日、番組『そこまで言って委員会』で、旅客機のボーイング737MAX の墜落事故の話が。A I とパイロットが喧嘩した結果、A I の判断が優先させられて、2018年にインドネシア、2019年にエチオピア、と相次いで2機が墜落。合計346人が死亡されたと。センサーの異常(誤作動)とA I が信じた事で起こった事故だと。こんな時、人間がA I を止める事が出来ないのだと。なんか、怖くないですか。特に、原発なんかを全面的にA I に任せる様な事になったら」と。
対し、拙僧「そうだね。A I が普及したら、人間の職業が失われるなんて事が言われているが、意外にそうでもないかもですよ。所詮機械だから、誤作動(異常)は起こすし、最終判断はやはり、人間がしなくちゃ。いつでも軌道修正が出来る状態にしておく事が大事だよね。『知識は学問から。が、その知識を活かす知恵は、経験から』だもんね。A I は、これからどんどん進歩していくだろうが、今のところは、やはり、人間が最終判断をした方が。2018年にノーベル生理学•医学賞を受賞された本庶佑先生が『教科書に書いてある事を信じない』と言われましたよね。経験なき知識は、いかに豊富な知識を持とうと、ただの『物知りさん』に過ぎんですもんな。人間の古典的な対応が、まだまだ、必要ではないかと」と。
次回の投稿法話は、7月30日になります。