1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 何でもがそうですが、否定から入ったら、得るものは少ないですよね。馬には乗ってみよ、人には添うてみよ、ですね。

2023-11-09 13:43:26 | 法話

【11月10日投稿分】


納骨堂に参拝に来ていた檀家高校生男子が、観音堂の縁側に座って皿倉山(北九州、山頂からの眺めは、日本新三夜景)の方を眺めながら、何か考え事をしている様子だったので「よう、来てたのか」と声を掛けると、拙僧を横目で見て「ねえ、住職。俺の姉ちゃん(28歳)なんだけど、結婚の話がきてるんだ」「何だい、嫌なのか」「いやいや、そうじゃなくてさ。父さんも母さんも、相手の男性がバツ1なのが、引っ掛かってる様子なんだ」と。


更に、高校生君が「何か、その拘り方が、俺には納得出来ないんだよな。いい人(男性)なんだよ。戸籍に傷が『付いてる、付いてない』だけで、二の足を踏んでしまうなんて。いや、親の気持ちがわからない訳ではないんだよ。だけど、よく世間で『今までに、何人とお付き合いをしましたか』という質問に対し、平然と『5人かな。7人かな』などと答えてる人達がいるでしょ。あれって、言い換えれば、戸籍に記されてないだけで『俺は、私は、バツ5、バツ7』と言ってるに同じだよね。戸籍に傷が付いた時だけ、相手を見る印象が変わるは、納得出来ないんだよな」「ほう、ほう、そういう事か」「だって、その相手の男性、俺、知ってるんだよね、俺の両親も。凄く爽やかでいい人なんだよ。住職が時々、法話で言ってるじゃん。『人間にはそれぞれ事情がある。事情の塊が、人間』って。その男性がバツ1だっていう事を知らなかっただけで、その男性の人となりは、俺の家族は皆、承知を。1つ(バツ、噂など)上に乗っかっただけで、二の足を踏む事になるのかな。まあ、親にしてみれば、娘の事だから、そうなっても仕方がないのかな。だけど、叩いて埃の出ない人間なんて、誰1人もいないでしょ。埃の程度の問題があるだけで」と。


続けてその高校生君が「ところで住職『見た目だけで、相手を決めつける』と言えば思い出したんだけど、俺の知人にね、派手化粧、長爪のバリバリギャルがいてね。ところがその娘(こ)、料理、裁縫、家事全般、全てを卒なく熟すんだよね。その娘(こ)に『お前、凄いな』と言うと『お母さんに習った、というより、お母さんを見て育ったからかな、自然に身に付いただけだよ。お母さんは、お婆ちゃん(父親の母親)に仕込まれた、と言ってた』と。住職が時々法話で『躾(しつけ)は、するものじゃない。躾は、見せるもの』と。人間、見た目で判断しちゃ、いけないよね」と、この高校生君が。「だよね。プロレスラーや格闘家など、一見怖そうに見えるが、優しい人、多いもんな」と。


更に拙僧、この高校生君に「檀家で20代、30代の独身女性陣に『結婚するなら、やっぱ、バツ付きは嫌かい』と尋ねると『大半の人は、基本、そうじゃないの。だけど、3組に1組は離婚する時代でしょ。バツ1なら、色々な面で許容範囲かな』と。『色々とは』と聞き返すと『離婚って、大変なんでしょ。バツ1さんなら、2度とあんな思いはしたくない、と奥さんや家庭を大事にし、色々とわが心で折り合いを付けてくれそうな気がして。結婚、離婚経験があるも、魅力の1つかな。但し、バツ2以上はあかん。反省、改善の心はないのか、と思ってしまう』と檀家独身女性陣は言ってるよね」と、この高校生に。


対し、高校生君が「なるほどね。ところで、住職。話は変わるけど、参拝して来る度に思うんだよね。不動明王の顔が、喜んでいる様に見えたり、怒っている様に見えたり、哀しんでいる様に見えたり、そんな風に見えるのは、何故なの」と。「例えば、なんか悪さして帰宅した父ちゃんが子供に『母さんだが、今日は機嫌が悪そうだな。何かあったのか』と。すると子供が『何を言ってるの。母さんは、いつものまんまじゃん』と。お不動さんも、お母さんも、顔など何も変わっとらん。見る人の心次第で、顔(印象)が変わった様に見えるだけだよ」「なるほど、そういう事か。父さんも母さんも、姉ちゃんの相手が、バツ1とわかった瞬間に、これまで何年も抱き続けてきた男性への好印象が、あっという間に吹っ飛んだんだ。そうか、そうか、そんな事か。という事は、ここは一丁、俺の出番って事だよね」と納得して、高校生はお寺を下って行きました。この話は、つい先日の話なので、結果はまだ、拙僧のところにまでは、届いておりません。届いたら、どこぞの法話の中で。


物事が大きく動く時(歴史も含め)には、色んな役割の人間が、必要になりますもんね。さて、投稿写真は、わが寺の観音堂から見る皿倉山です。


次回の投稿法話は、11月15日になります。





【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 遺骨を火葬場に捨て置きしたり、生ゴミ置き場に置き捨てたり。知人中学生男子が「なんや、人間死んだら、ゴミ捨てか」と。この言葉は衝撃。

2023-11-07 12:08:46 | 法話

【 これは昨年の4月初旬に投稿させて頂いた法話です。葬儀、お墓、先祖の供養、などの話(相談)は、度々拙僧のところへ。何かしらの参考になりますれば 】


わが寺とは縁のない夫婦が「1周忌法要と納骨堂契約をお願い出来ませんか」と突然、遺骨と白木の位牌を持ってお寺に。理由を尋ねると「16歳の息子が自ら命を。恐らく、私達の夫婦不仲が原因であったと思います。葬式は葬儀社でお寺を紹介して頂いて。葬式後、そこのお寺に納骨堂を拝見しに伺うと、掃除は行き届いておらず、お供えされているものは、酷いのになったら、カビだらけ。どうも、遺骨を大事にしているお寺さんとは思えず」と。


1周忌の後、このご夫婦に拙僧「お寺を紹介してもらった、という事ですが、あなた達夫婦両家の菩提寺は、どこにあるの」と尋ねると「ありません」と。「両家共に、ですか」「はい」「親の遺骨は」「火葬場にそのまま置いて帰りました」「両家共に、ですかいな」「・・・」「それで、私のお寺をどこで知ったの」「ツイッター(現在のX)の法話で知りました。ここなら、と。そこで、怒られるを覚悟で。ここの檀家にして頂いて、納骨堂の契約をさせてもらえれば」と。「住まいは、どちらですか」「関西の方です」「関西とは、ちょっと遠いですね。あなた達が『供養を長続きさせたい』と本気で思っておられるなら、無理なく続けられる環境を考えた方がいいと思いますよ。関西の方で菩提寺を探してみられてはどうですか」「ここじゃ、駄目なんですか」「ここじゃ、あかんですね。あなた達の事(今日までの姿勢)を考えると、遠過ぎます。居住地の仏壇屋さんに行って『人格者の住職が座する、納骨堂保有のお寺を教えて下さい』と聞いてみて下さい。仏壇屋さんは、お寺さんとのお付き合いがあるから、そこに聞くが最も間違いがない」「そうですか、そうなんですね、わかりました」と、ご夫婦は息子さんの遺骨を抱えて下山を。


親の遺骨は平気で捨てる事は出来ても、流石にわが子の遺骨は、捨てられなかったんでしょうな。所謂、牛に引かれて善光寺、ですね。道理のわかるご住職さんに出会えたら、火葬場に置き捨てた親の供養も一緒にする事を、勧められるでしょうね。『良きお寺さんとのご縁があります様に』と拙僧、このご夫婦を見送りました。その後は、なんの連絡も。因みに、わが寺の檀家さんの中にも、自殺者は20人ほど。その内の半分は中高生。自殺の理由は、いじめや不安ではなく、わが寺に限っては、大半が家庭の不和にて。


さて、会話の中で拙僧、このご夫婦に「人生は取り返しが効く、なんて言葉がありますが、大半は取り返しは効かないですよ。時間を取り戻す事が出来ない様に。同じ過ちを繰り返さない様にする事は出来ますがね。人間は必ず何かの役目を持って、この世に生を受けています。息子さんは、親の心を改めさせる役目を持って、この世に生を受けられたんでしょうかね。後に残る2人の息子(次男、三男)さんを、大事に育てて下さいね。それがこの子(自殺)にとって、何よりの供養になると思いますよ」と。


【追伸】


先日、読者の若者から、この様な質問が来ました。「住職の法話に対し『長い』と文句を言ってくる人が偶にいるよね。どうされてるの」と。「基本は何もしないが『誰が読むんか、こんな長い話を』など、何度も文句言ってこられる人は、ブロックするかな。拙僧が気分を害しているからではなく、そんなに文句が出るほど不快に思われているのなら、その人に対し申し訳ないので、目に入らないようにしてあげよう、とブロックを」「そんなブロックの理由もあるんですね」「それに『文句言い、講釈言いは、動かん』と相場が決まっとるやろ。長い文を短い文にしたからとて、読まない人は、読まないでしょ。この長文を待たれている人も結構におられるので、読んでくださる人達に照準を合わせているかな。100人文句が出ても、1人助かる人(参考にして頂ける人)がいれば、それだけで十分。SNS の『いいね』を増産させるが目的で、法話を投稿している訳ではないのでね」と。


次回の投稿法話は、11月10日になります。投稿写真は、わが寺の永代堂の地蔵菩薩と四天王の広目天。昨今、50歳までに1度も結婚してない男性が4割、女性が3割との事。このご時世でも、遺骨を捨てる人ばかりではないので、2年前、わが寺では、永代供養の為のこの永代堂を納骨堂内に建立しました。仏像の背後に置かれている遺骨は、誰もお参りに来てもらえない故人の遺骨。お寺が未来永劫に、供養をさせてもらいます。





【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 現在、50歳までに1度も結婚してない男性は約4割、50歳までに1度も結婚してない女性は約3割と。

2023-11-04 20:44:08 | 法話

【11月5日投稿分】


今日は10時から、わが寺では鬼子母神法要が営まれ、多くの参拝者が御礼報謝で足を運んでまいります。鬼子母神を祀られている寺院では、インドの神様という事で、お接待はカレーライスにしている所も多く、わが寺でも毎年、カレーに。何故、カレーか、といえば、深い意味はなく、インドだからカレー、の単なるこじつけです。ところが、このこじつけが「お寺でカレーが食べられる」と、喜んで多くの子供達が参拝を。鬼子母神さんには、如来型と鬼神型の2種類があり、わが寺の鬼子母神さんは、如来型にて。一方、鬼神型は、主に日蓮宗の守護神として祀られている事が多く、因みに、東京都台東区入谷にある法華宗(日蓮宗とは親戚筋、詳細はググって下さい)真源寺の『恐れ入り屋の鬼子母神(どうも恐れ入りや(入谷)した、の洒落言葉)』は、あまりにも有名ですよね。


さて、鬼子母神さんは、お釈迦さんの時代に本当にいた女性(人間)で、その名を『訶梨帝母(かりていぼ)』と言います。500人の子供がいた、と言われていますが、それ程に『子沢山だった』という事でしょうね。人の子供を食べていた、と言われていますが、そんな訳はないですわな。母親特有の自分の子供を溺愛するあまり、人の子供を蹴散らしていたんでしょうね。その諸行があまりに目に付いた為、お釈迦さんに怒られ、諭され、改心して、お釈迦さんに帰依(信じる心)し、その後、お釈迦さんを守る守護神『鬼子母神』になったと、まあ、こういう流れですわな、簡単に説明しますと。


鬼子母神さんは、子供に関わる神さんという事で、わが寺でも『子授け祈願』に足を運ばれる人も非常に多く『その願いが、叶った』という人も少なからず。但し『本当に鬼子母神さんの功徳があったのか』と問われれば、甚だ疑問にて、全てが憶測の世界だもんね。『願った、後ろ盾を頂けた』という安心感(信じる心)から、免疫が向上し、子供の授かり易い心身になっていった、というが、本当のところじゃないでしょうかね。


これは、数年前の話ですが「住職さん。何年間も鬼子母神さんにお願いに来ているのに、一向に娘に子供が出来ん。どうなっとんじゃ」と文句を言ってきた母親が。対し、拙僧「お母さん、あなたが産むんですかい。何故、当の本人の娘さんが来ないの。神であれ、仏であれ、人であれ、子授け願いに限らず、願い事を他人任せで頼んでくる者に、力を貸そうなんてのは、いないと思いますよ。『本当に子供を授かりたいなら、自分で足を運んで来な』と、住職がその様に言ってた、と娘さんに言っといてくだされや」と。


続けて拙僧「それと、お母さん。これは余談ですが、過去(拙僧父の時代の話)に、こんなご夫婦がいました。そのご夫婦に父(先代)が『子供を授かりたいなら2人して、あなた(神様)の子供(授かりもの)を私達に育てさせて下さい、と氏神(八幡様)さんに、何度も、何度も、お願いに行ってきなさい。その土地を縁に、人は生まれてくるんだから。奥さんだけが足を運んでも駄目だよ、ご主人も一緒に』と指導を。だが、このご夫婦、1度も氏神詣でには。晩年になって、拙僧にこのご夫婦が『もし、先代住職(拙僧の父)に言われた通り、真剣に氏神詣でをしていたら、もしかしたら、と、この頃いつもそれを考えます。氏神詣でをして授からなかったとしても、あれだけ願っても授からなかったんだもの、私達には子供の縁がなかったんだろうね、と納得出来ていたんじゃないか、と思います』と悔やんでましたよね。何でもがそうですが、例え、同じ結果(残念な)になったとしても、動いた人間に、努力した人間に、後悔は少ない。動かなかった人間に、努力しなかった人間に、後悔はやって来ますもんね」と。


拙僧のこの一連の話を、母親から聞いたその娘さんは早速に、ご主人と一緒にわが寺の鬼子母神さんへ、度々願いを掛けに。その半年後、お腹に子供が。「こんな不思議な事ってあるんですね、住職」と、若夫婦が驚きと喜びで、お寺へ御礼報謝に。対し拙僧、この若夫婦に「そりゃ、知らん。ただの偶然かもしれんよ。が、拙僧にとっては、ただの偶然でもいいが、あなた達にとっては、偶然と簡単に片付けない方がいいかもしれないね。これから先、子供を育てていく上においても、老いた親を世話していく上においても、命の流れというものをこの際、しっかりと真剣に、見つめ直していく事が大事だろうね」と。


結婚したい、子供が欲しい、という若者達に対してだけ拙僧、次の言葉を彼らに。『結婚も、子供も、必要ない』という若者達には、次の様な言葉は掛けない。その言葉とは「結婚は何歳でも出来るが、子供は何歳でも、という訳にはいかんよ。拙僧の経験範疇(数百の相談)での事だが、計画出産(何年か2人で楽しく過ごして、その後に)は、どうも、あかん様な気がする。結婚と同時に、子供を授かる、という縁も来ている様な気がしてね。その縁(子宝)を、そうする事で逃したのかな、と。ほんとこの話は憶測の範疇だが、そう思える夫婦が、そう思っている夫婦が、檀家の中には何組かおらっしゃる。勿論、子供が欲しくてたまらないのに、子供との縁が薄いのかな、と思われるご夫婦も」と。


さてさて、昨今では、若い時に精子と卵子を保存し、自分がやりたい事をやった後、受精させてわが子を授かる、という選択が出来る時代に。が、その成功率は、50%と言われてますよね。赤子においては、親の若い時の精子、卵子だから、老いた親の精子、卵子じゃないから、受精が成功すれば、身体が丈夫で生まれてくる可能性は高いだろうが、親の方といえば、そうはいかない。40歳を過ぎて、初の子供を授かった夫婦が、お寺にも何組かおられるが、皆、異口同音に「住職さん、40歳過ぎからの初の子育ては、肉体的にも、精神的にも、とても大変です。2人目、3人目だったら、経験も加わって多少は」と。この方式(精子、卵子保存)を親に習って、同じ事を子供までもがすれば、80歳(仮に)で初孫の世話をする事に。色々、様々、研究、解明され、手立てが講じられる様になっていっても、時間軸(老い)に逆らったら、それなりのリスクを背負うを、覚悟する必要も。


因みに、11月15日は『七五三』ですよね。1年で最良の日といわれているから、この日に『七五三詣で』をもってきたのかな。何の為に『詣で』に伺うのかといえば、子供は神さんからの授かりものだから『3歳まで、5歳まで、7歳まで、この様に育てました。ご覧ください』と神さんに見せに行く為にて。その披露の最後が成人式。その成人式の様子を神さんが見て『この親に預けて、正解だったのかな』と思われん様にせにゃ、ですね。


最後になりますが、昔の高僧が「この世の中、縁で繋がってないものは、何1つない。偶然という言葉は、人間が作った言葉である」と。その言葉に波状して「出会う人(物、病気、仕事、事故、縁は全て)には、出会う様になっとる。それも、一瞬早くもなし、一瞬遅くもなし」と。その縁について「縁に出会って、縁に気づかず。縁に気づいても、その縁を活かせず」という言葉が。こうした識者の方々の言葉から拙僧「出会うは、運命。出会ってからは、努力。最後には、感謝」という境地に。


次回の投稿法話は、11月10日になります。投稿写真は、わが寺の如来型鬼子母神(中央奥)、と、前佛は、聖徳太子稚児像。