鳥羽市に住む昔の教え子名母親Hさんは今やわたしの友達です。年令
もわたしよりは少し若いだけでよく似たものです。Hさんはグループホームに
いるAさん(元先生ー 家が隣だった)の後見人になっていて、時々訪ねられ
ていろいろお世話されています。
わたしの方は3年前に入所したNさん(同じ職場で勤めた)を訪ねて二
人で出かけました。Hさんは股関節が悪く人工の股関節を使っているそう
です。車には乗らないので家まで迎えに行きました。
10時過ぎにホームに着き訪問者ノートに名前を書き、それぞれの部屋へ
と行きました。わたしは昨年も行っていますが、Nさんはわたしのことを、
ホームのスタッフさんには、「高校の同級生だ。」と言っていました。
とてもうれしそうに話はしましたが、Nさんは1歳上だし、職場で一緒でし
たから少しおかしいなとは思いましたが、やはり認知がきていて、話をして
いて、同僚だった人の名前を言っても忘れていました。
わたしの姉が亡くなった時はお葬式も来てくれましたが、わたしに
「お姉さんは元気?」と・・・・・
しかし今のところつながる話もあり、いろいろ思い出してもくれました。
自分でも「貴女が来てくれるとわたしの目が違うだろう。」と・・・・・
初期の認知症は常に話し相手がそばにいて話したり、買い物に出かけ
たりと必要でなかったのかなあと思いました。
団地住まいは、マンションなどに見られる「隣は何をする人ぞ」的な面
があるようです。独り暮らしのコミニュケーションができなかったのも認知
の要因かなあとも思われます。
ホームでは至れり尽くせり洗濯、食事、掃除等一切自分ではやらない
から部屋か談話室(テレビが置いてあり、何名か集まっている)で暮らす
だけとなります。話すことはないようです。
グループホームは身体より少し認知の人が収容されるホームですから
それなりの対処でしょう。わたしなど食事、洗濯、掃除などとても人様に
お世話していただくことなど考えたことがないですから、認知にならない
ように気をつけたいです。
Hさんと二人して何度か行ったことのある小料理屋さん「むつみ」に行き
海鮮 定食でお昼を食べました。
Hさんからはネーブルで作ったというマーマレードを頂きました。わたしは
専ら甘夏で作りますが・・・・柔らかくて美味しいでした。