今年も水害で犠牲者も出し、多くの被災者が災害後の片付けに苦労されて
いる様子がニュースで流れました。
今から56年前の昭和34年9月26日、伊勢湾へ上陸した台風は三重、
愛知にとっては歴史に残る大惨事でした。未曾有の台風で死者5000人
以上とのことでした。
特に海岸沿いは台風をまともに受け、古い木造の校舎など全壊でした。
わたしも鳥羽市の加茂小学校で、台風前日には教室、廊下などの窓ガラス
を補強し、(現在のように強化ガラスではない)セロテープで止めたり、割れて
いる所へはガラスを切って入れました。初めてガラス切りをしたものでした。
しかし一夜のうちに校舎は全壊、窓ガラスは木っ端微塵でした。当時は
電車での通勤でしたが電車は不通となり、家人の単車に乗せてもらって行き
ました。志摩市の学校の殆どが全壊若しくは半壊でした。
台風の後始末にPTAや町の人々、子供達も出ました。しばらくは市の
支所や講堂(体育館と言うほどの立派ではない)を4つにし切っての授業で
午前と午後の2部授業でした。5年生担当でしたから午後から(11時ごろ)
夕方まで5時間でした。しかし日が短くなり3学期からは、5年生だけ中学校
を借りました。(分散授業)
新校舎が建つまで彼らは5年間中学校での生活でした。小学校に居れば
高学年で低学年にはお兄さん振りが見せられるものですが、中学校では、
運動場を使うにも少し遠慮しての学校生活でした。とにかく団塊の世代の
真っ只中で児童数も現在の数倍でした。
半世紀以上も経ちましたが、わが志摩地区にとっては最大でした。
今後東南海トラフでの地震の心配はありますが、・・・・・