夏休みの正午にラジオで大事な話があると言うことで、家族でラジオの前に
座り耳を傾けたのが、天皇陛下による玉音放送でした。子ども心にも天皇陛下
のお言葉 「耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び・・・・」に、日本は負けた
と張り詰めていたものが落ちたと言う気がしました。
我が家ではその前に2人の兄の戦死の公報が入っていて、2柱の葬儀も
済ませていました。両親に残されたのは女学生の姉と小学校5年生のわた
しだけです。退職(神宮)間近い父です。兄達の戦死は両親には言葉にならな
いほどの哀しみだったと思います。
戦中に伊勢市(旧 宇治山田市)から両親の郷里へ疎開し、そこそこに
田畑も耕作していて、買出しすることは無く、子どもも少ないせいもあり、
食料、衣服など不自由はせずには済みました。当時は8人、10人の兄弟
と言う家族が多く、助け合っての暮しは羨ましくもありました。
両親は頼りにならない我が姉妹ですから、子育も熱心になれないのか、
今の親達のように関わることもなく自由に育ててくれました。
(家の手伝いだけはさせられましたが)
今日は昨日に続いてお墓参り(14,15日は墓参りの土地の風習)を済ませ
兄達の墓標にもしっかりと「平和」 のお願いをしました。(2人ともビルマの土)
東京武道館での全国戦没者追悼式、12時の時報で1分間の黙祷をし
ました。戦後71年の年月は遠くなり、まわりはみんな戦後生まれです。
語り継ごうにも語り継げる者があまりにも高齢化で記憶すら薄らいできている
のではと・・・
ー 平和な世の中が続くことを願って ー