2,3日前に病院から、老人施設へ移された叔母(97歳)です。最初に施設
に移されたときは、かなりショックで「入りたくなかったのに、誰が入れたのや。」
とわめいたそうでした。
脳梗塞で病院へ運ばれ、当初は頭も朦朧、言葉も上手く出ない、書くことも
できない、またt一時は食べられない状態が1週間ほど続いたそうでした。
息子たち3人とそのお嫁さんで交替のつききりでの病院生活でした。しかし
だんだんとリハビリーの結果歩くことも(乳母車を押して)、話すことも、食べる
こともどうにか出来、施設では、付き添いもなく、ひとりでいました。
最も今日は名古屋から1ヶ月ほど来ていた息子(72歳)と家内が名古屋に
帰ることになり、お昼を食べにいったと言うことでした。
「もうここが最後の場所だね。」と自分でも納得しているようでした。施設の
中に101歳の方が居られ、しっかりしていて自分もよい刺激になったようでした。
「私が一番しっかりと歩いて食事場所へ行くんだよ。」と結構自慢顔でした。
私の甥と共に行きましたが、ちゃんと覚えていて、「あんた、今年定年で退職
やね。」とまで、普段あまり会うことがないのに、とびっくりしました。叔母のひとり
娘(2年前にガンで死亡)と同年でした。
この分だと100歳まで大丈夫と励まして帰りました。施設は町内にあり、そば
に医院もあり直結していますから、安心です。
夜 「3年B組金八先生 ファイナル~最後の送る言葉」を見ました。
昭和59年に始まった第一シリーズから32年間よくぞ続いたシリーズでした。
武田鉄也さんの見事に金八先生を演じた32年間でもあったのでした。
32年間の卒業生には懐かしい多くの人々が出演でした。
改めて金八先生の教えに感動しました。
最後の言葉として「一隅を照らす人になってください。」の言葉でした。
母は、満89歳で結構長生きでしたが・・・
叔母とは17歳ほど違っていました。時々
話し相手にと思っています。向こうも肉親では
たった一人の姪ですからね。近くで何よりで
建てられてからまだ数年の良いホームでした。
いらっしゃいますね。
親戚のお見舞、ご丁寧ですね。
もうすぐ100歳 すばらしいですね。