NHK深夜便で作家五木寛之氏の「わが人生の歌がたり」の
再放送(平成18年放送)をしています。五木氏は77歳、ほぼ同じ
時代に育った者として、流される歌は当時を思い出させ懐かしく、
耳に聞こえます。ー昨日、今日は五木氏の中学時代(旧制)でした。-
わたしも五木氏に倣って過ぎ越し遠い記憶の中から、思い出す
歌の数々を蘇らせてみようと思います。
小学校時代を戦時下で過ごしたわたしは、学校では文部省唱歌
でさくらさくら、冬景色、里の秋、スキー、燈台守など、それに歴史
ものの、牛若丸、ひよどり越え、(馬も四足、鹿も四足・・・。)など
教科書で歌いました。
また古い日露戦争当時の「水師営の会見」(旅順開城役成りて・・)
や広瀬中佐(轟く筒音飛び来る弾丸・・・)などもあり。これらは遊び
(縄跳び、お手玉、まりつき)などにも歌われ遊んだものでした。
ラジオからは国民歌謡が流れ、殆どが軍歌でした。
「若鷲の歌」(若い血潮の予科練・・・)、「空の神兵」(藍より蒼き・・・
見よ落下傘空を行く)、「同期の桜」(貴様と俺とは・・・)、
「出征兵士を送る歌」(わが大君に・・・)と今でも覚えています。
この歌は白いエプロンに国防婦人会のタスキをかけたお母
さんたちと、日の丸の旗を降りながら見送ったものでした。
長兄のお嫁 さん(伊勢でのわたしの小学校の先生)が兄が外地
に行っていたので東京から来ていて、再び先生としてこちらに勤務
していました。
美術良し、音楽良しで、当時もラジオから流れる歌を、全て五線
譜に採り、教えてくれました。わたしの音楽好きはこの人の影響
もあると思います。・・・二人とも黄泉の国へとですが・・・
しかしその後は二人の兄の戦死により軍歌は歌いませんでした。
戦時下、家では内地勤務の兵隊さんの宿舎(離れが将校宿舎)
となっていて、中には師範学校出の方も居られ歌を歌って遊んでく
れました。
「誰か故郷を思わざる」(花摘む野べに・・・)も確か教わりました。
伊藤少尉さんでしたが・・・・
母は軍歌は歌わなかったようでした。息子二人を戦場に 送った
からだったのでしょうか?昔の「カチューシャの歌」(カチューシャ
可愛いや別れの辛さ・・・)、や「青葉の笛」(一の谷の軍破れ・・・)は
母から覚えましたが・・・・
カチューシャの唄 【F】 |
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作詞
作曲 |
島村 抱月 相馬 御風 中山 晋平 |
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1 |
カチューシャかわいや わかれのつらさ ■せめて淡雪とけぬ間と ■神に願いを ララ かけましょか
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2 |
カチューシャかわいや わかれのつらさ ■今宵ひと夜にふる雪の ■明日は野山の ララ 道かくせ
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3 |
カチューシャかわいや わかれのつらさ ■せめてまた逢うそれまでは ■同じ姿で ララ いてたもれ
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カチューシャかわいや わかれのつらさ ■つらい別れの涙のひまに ■風は野を吹く ララ 日はくれる
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戦後(5年生)唱歌が殆どですが、姉が女学生であったので、
「 ローレライ」、「故郷を離れる歌」、「荒城の月」などの抒情歌に、
当時の歌謡曲、「湖畔の宿」、「影を慕いて」、「君恋し」なども意味
もわからないまま、メロディーと共に覚えてしまったようです。
ローレライ
1 なじかは知らねど 心わびて、
昔の伝説は そぞろ身にしむ。
寥しく暮れゆく ラインの流
入日に山々 あかく映ゆる。
2 美し少女の 巖頭に立ちて、
黄金の櫛とり 髪のみだれを、
梳きつつ口吟む 歌の声の、
神怪き魔力に 魂もまよう。
3 漕ぎゆく舟びと 歌に憧れ、
岩根も見やらず 仰げばやがて、
浪間に沈むる ひとも舟も、
神怪き魔歌 謡うローレライ。
テレビも無い時代、歌を歌って いるのが楽しかったちょっとおませ
な少女時代だったようでした。