昨年12月夭折された日本画家平山郁夫氏の 「平山ノート」
-この道一筋にーを昨年暮れにしっかり読んでその偉大なる生き
方に心を打たれました。
文章そのものも常体でなく敬体(です。あります。 思います。)で
書かれ、氏の人柄が表われています。 言わば自叙伝です。
幼少時代
瀬戸内海の小島の旧家の末っ子に生まれ、兄(後に東大法学部へ)
姉を持つ。父は早稲田大学出身で新聞社務めの後平山家に養子と
して入る。
子供の頃はやんちゃ坊主であったが、兄や姉に刺激され、小学
生の頃から文学書や専門書を手にとり背文字のタイトルを覚え、
小学校で鼻をたらした子どもに似合わぬ質問に不思議がられたり
面白がられたりした。(トルストイやドストエフスキー、夏目漱石等)
しかし小さいときからの環境や生活が文字に対しても、他の面
でも いろんな知識を育てられたと・・・・美術全集などもこの頃から
興味を持った。
中学時代(旧制中学) 広島市へ
はじめて家を離れての寮生活で寮では上級生(5年生)から1年
生までが同室で掃除からいろんな用事も行なうが遅いと叱られる。
戦時下で全て軍隊式で一人がへまをやれば連帯責任となって制裁
を浴びる。しかしまた友情あり、かばいあったり、困ったときには協力
しあったりの共同体が培われた。また我慢も覚えた。
今の親達ならすぐ家に連れ帰るでしょうが、平気で耐えるという
ことは、どういう社会に入っても、これ以上苛酷なことはないだろう
と体験しながら勉強していくという精神が生まれたのではと思う。
お腹がすいたら絵を描いていると夢中になり忘れた。
また勤労動員で重労働の2年間の経験は万巻の書を上回る得
がたい人生経験であった。
この頃原爆の被害を受けるがこの被害は他の書物でも記録が
あるから氏はあまり触れていない。後に描かれたー広島生変図
広島県立美術館に 収蔵ー
しかし広島でのこの経験は平和な島でわがままな子どもで時を
過ごしていたら違う人生になっていたかもしれない。
違う世界で様々な経験をし自分を律して突破していくことは大変
です。
「獅子は子どもを千仭の谷に落として鍛える」と、それこそ、授業料
を払っても経験させたほうがいい と・・・
絵の教育について
小才のきく、少々の才能は早く型ができ、小さく固まってしまう。
才能とは素直に勉強できること、専門の知識や技術も習得しなが
ら世界や日本の現代も過去も知るという基礎研究から自らの理論
が生まれる。
その後の平山氏
文明発祥の西アジア、仏画の原点となるシルクロード、インドへ
と文化交流(敦煌では平山郁夫展も開催)に。
社会貢献・国際貢献 これがすばらしい平山氏
画家が本職ですが、母校東京芸大の学長を2期務めた。母校
に対する恩返しであり、個人の贅沢や自由はある程度犠牲にし
ながら画家としての仕事もなした。ある立場に立ったら社会還元
する義務があり、社会奉仕をしなければと言う。
その一つ文化財赤十字構想を主張では広島での被爆体験から
平和を祈ると言う主題で「仏教伝来」ーシルクロードにつながるー
の絵を描いた。
世界の文化財修復協力では修復のための費用としても私財
(絵を売って)を数億円投じてそれぞれ(アンコールワット保存・
敦煌研究基金・アメリカの日本古美術修復など)寄付を行なって
いる。
この世の中、政治家、プロスポーツ、芸能人と多くの財をなし
ていますが、私腹を膨らませるほうが多い時代、やはり平山氏
の生き方は後世に残る模範となるべき生き方だったと思います。