昨日は広島原爆記念の日、そして明日は長崎原爆記念日と70年を迎え、
広島では式典が行なわれました。午前8時15分わたしも家にて鐘を合図に
黙祷をしました。
今や戦後70年、「戦争を知らない世代」が殆どを占めています。新聞や
テレビでは戦争にまつわる話題が多く今まで語りたくなかった戦争体験者
などの記事も目にします。
国内での戦禍、特に原爆投下の実情は本当に目の当たりした者しか分
かり得ないでしょうし、また遠い戦地にあっては地上戦、空中戦等により、
殺し合いの惨劇です。
わたしの兄2人もビルマで戦禍に散りました。遺骨は帰ってきません
でした。どんな亡くなり方をしたかさえ分からないです。上の兄の場合は
腹部貫通銃創と公報には書いてありましたが・・・・・次兄は医務班での
トラック輸送の際爆撃されたと・・・・29歳、25歳の命でした。
また中国やシベリアで敗戦となり、捕虜としてシベリアの奥地で抑留
され、過酷な労務を課せられて復員された方など、生きて帰ったことの自責
と激務暮しにしばらくは口を閉ざして後の家族にさえ語らずも多くあったと聞
きます。当事者でなければ分からないことでしょうから・・・・
戦争放棄の憲法が集団的自衛権で叉や戦争へともっていかれるのでは
と、・・・・・
安倍首相もかなり強引に 構えていますが、それは絶対にないだろうとは
思いますが、戦争を知らない世代が軽々しく戦争論議をするのはわたしは
あまり好きではないです。
戦中はわたしは10歳で叉田舎へ疎開したから直接戦禍にはあっていま
せんが、わが兄たち、まわりの人々の戦死、残された家族の哀しみ、戦災遺
児たちと関わっての生活でした。未だに戦後を引きずっています。当時を
思い出すだけでも涙が出ます。
平和に慣らされ贅沢な暮しのなかで身を置けることは、多くの犠牲の
上にあるものと、鎮魂を忘れないように思います。