聖書には、大群を率いたフィリスティア人がイスラエルにせて来た時、神エホバに見放された王サウルと共にいた民の数はおよそ600人だったことが記されていました。
引き続き聖書には次の内容が記されています。
「さて、イスラエルにはどこにも鍛冶屋がいなかった。フィリスティア人が、「ヘブライ人に剣ややりを作らせてはならない」と言ったためである。そのためイスラエル人は皆、すき、つるはし、おの、鎌を研いでもらうため、フィリスティア人の所に行かなければならなかった。すき、つるはし、フォーク、おのを研いでもらう場合、また牛追い棒を修理してもらう場合、代金は銀8グラムだった。それで戦いの日、サウルやヨナタンと共にいた長は誰も、剣のやりも手にしてなかった。サウルと息子のヨナタンだけが武器を持っていた。
フィリスティア人の守備隊はミクマシュの峡谷を渡る場所に出てきていた。」(サムエル第一記13:19~23)。
上の聖句に記されている通り、フィリスティア人が大群で攻めてきた時、武器を持っていたのは王サウルと息子のヨナタンだけであったことが記されています。それはフィリスティア人が、「ヘブライ人に剣ややりを作らせてはならない」と言っていたので、「鍛冶屋がいなかった」からであることが記されています。
さて、事態はどのように進展するでしょうか。次回に引き続き紹介致します。
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