皆様方も勤勉に働き、家族の必要物・物質的な必要と霊的な必要を備えていらっしゃる方々は幸いです。私たちは仕事をする者として創造されていますが、仕事に対する正しい考え方を抱いていらっしゃるでしょうか(創世記2:15,19)。このように考える人もおられるかも知れません。競争の激しい職場で生き残り、少しでも良い立場を得て、より高い給料を得るためには、自分の仕事を他の何よりも優先しなければならない。そう考えて仕事に全精力をつぎ込むあまり、自分の家族の必要、特に霊的必要や自分の健康を顧みなくなった人もいます。
聖書は何と教えているのでしょうか。聖書は、仕事に対するバランスの取れた考え方をするように勧めています。勤勉な働きの人を褒め、怠惰な人を戒めています(箴言6:6~11;13:4)。また、自分の仕事に熟練した人となるようにも促しています(箴言22:29)。神エホバの教えは、勤勉に質の良い仕事を行って、世の中に貢献するように促しているのです。一方、聖書は、仕事中毒になるほど働くことは良しとはしていません。憩いの時を程よく取るように勧めています。次のように伝道の書には記されています。「一握りの憩いは、二握りの骨折りと風を追うことに勝る」(伝道の書4:6)。また、幸福な人はみ言葉を毎日読み、その教えを黙想し、自分の生活に適用する人が成功する、と教えています(詩編1:2,3)。ですから、自分と自分の家族の霊的必要を顧みなくなる、あるいは若さにまかせて健康を顧みなくなるほど仕事にのめり込んではならないのです。家族と健全なレクレーションを楽しむ時間も必要なのです。命を削るような仕事の取り組みはふさわしくありません。人生に成功を収めるには、み言葉を日毎に学ぶ時間も取分ける必要もあるのです。特に親は、み言葉を学び、神エホバの教えを自分の心に取り入れ、子供たちに毎日教えることも怠ってはならないので、仕事のみになって、霊的な必要を備えることを怠ってはならないのです(申命記6:4~9)。
栗の実を 食べよと姉妹 訪ね来る 日の一句
ご近所の庭に咲いている「ジニア」
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