愛媛県宇和島市からの良いたより♪

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進んで許してくださる神エホバ:エホバが進んで許してくださるのはなぜか?

2018-03-14 23:42:52 | 神の言葉・聖書

 あなたは、偉大な創造者エホバ神は「進んで許してくださる」神であることを知られてどのように感じられますか(詩編86:5)。私たち人間を「神の像(かたち)」に創造されたお父さんなら、当然と思われたでしょうか(創世記1:26,27)それとも愛の神だから進んで許してくださる、とお考えになられたでしょうか(ヨハネ第一4:8)。今日は神エホバが進んで許してくださるのはなぜか、についてお伝え致します。

 神エホバは私たち人間には能力の限界があることを認めておられます(エレミヤ10:23)。さらに神エホバは、「神ご自身がわたしたちの造りをよくご存じであり、わたしたちが塵であることを覚えておられる」と、詩編103編14節に記されています。人間は塵でできた生き物であり、アダムから受け継いだ不完全さに起因する数々の弱点や欠点を持っていることを、神エホバはお忘れにはなりません(創世記2:7.ローマ5:12)。私たちの造り」をご存知である、という表現から思い出されるのは、エホバが陶器師に、人間を神が造る粘土の器になぞらえられた聖書の記述です(エレミヤ18:2~6)。偉大な陶器師に例えられたエホバ神は、私たちの罪深い性質の弱さに応じて、また私たちが神エホバの導きにどのように反応するか、また反応しないかに応じて、扱い方を調整されます。

 神エホバは、人間がアダムから受け継いだ罪がいかに強力であるかを理解しておられます。み言葉・聖書は罪を人間をがっちりと掌握する強い力として描写しています。罪の人間への統御力はどれほど強いのでしょうか。聖書のローマ人への手紙の書の中で、使徒パウロはこう説明しています。わたしたちは、兵士たちが司令官のもとにあるのと同じように「罪のもとに」ある(ローマ3:9)。罪は王のように人類を「支配」してきた(ロー5:21)。罪はわたしたちのうちに「住み」、「宿って」いる(ローマ7:17、20)。罪の「律法」は私たちのうちで絶えず働き、事実上私たちの歩みをコントロールしょうとしている(ローマ7:23,25)。罪は、油断すると私たちを堕落させる肉(精神)を何と協力に統御しているのでしょう(ローマ7:21,24)。

 このように神エホバは、私たちが神エホバへの従順をどれほど願っても、完全に従順であることはできないということを人間の能力の限界を知り、ご存じなのです。そして、私たちが心からの悔恨の情を抱いて神エホバの憐れみを求めるなら許しを差し伸べる、と愛を込めて保証してくださっています。詩編51編17節にはこのように記されています。「神(エホバ)への犠牲は砕かれた霊なのです。砕かれ、打ちひしがれた心を、神よ、あなたはさげすまれません」。この聖句からお分かりと思いますが、神エホバは、罪の意識という重荷によって、「砕かれ」、「打ちひしがれた」心を退けることも、無視することも決してありません

 では、私たちは自分の罪深い性質を罪の言い訳にして、神エホバの憐れみを利用して良いのでしょうか。断じてそのようであってはなりません。神エホバは、単なる感傷に左右されません。神エホバが人間に示される憐れみには限界があります。悔い改めを全く示さず、故意の罪をかたくなに習わしにする人には、決して許しを与えられません(ヘブライ10:26)。逆に、私たちが心から悔恨の情を示すなら、神エホバは進んで許してくださいます。では、神エホバの愛の驚くべき面を描写するために聖書が用いている、表現力豊かな言い回しを幾つか取り上げてみましょう。そのことは次回にお伝え致しますので、引き続きお読み下されば幸いです。

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