城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

デフレ政策の残したもの 24.7.5

2024-07-05 14:12:23 | 面白い本はないか
 今日は5時前に起き、浅田次郎の「母の待つ里」を少し読み、6時過ぎに畑に収穫に出かけた(これについては後日書く予定)。

 朝食後、7時40分から城ヶ峰に出かけた(一週間に一回程度雁又山、池田山に出かける)。帰りに毎週金曜日に城ヶ峰の先の333m地点にある展望台まで出かけているOさんと出会い、しばらく立ち話。

 家に帰り、少しだけバラの手入れをした。長雨と高温で葉がたくさん落ちてしまった株が出てきた一方で元気に咲いているバラもある。

 昼寝のあと、涼しい部屋で今この文章を書いている。


 昨日日経の株価が最高値をつけた。かたや外国為替市場では、円は1ドル161円を上回っている。

 円安が進むのは、日米の金利差というのが今までの理解であったが、NISAによる円売りばかりではなく、今や日本経済、日本政府(含む日本銀行)に対する低評価のためとも言われる。

 ここではなぜ低金利0金利が続くのか考えてみよう。もちろん種本があり、今回は河村小百合「日本銀行我が国に迫る危機」(講談社現代新書)。

 その前に河浪武史「日本銀行の虚像と実像」を読んだが、危機の認識度が全く違う(河浪氏は日経新聞の記者、河村氏は経済学者の違い?)


 2000年末、2005年末、2022年末と日銀のバランスシートの膨張振りを示したもの(同書36ページ)

 安倍第二次政権が2012年に始まり、翌年就任した黒田日銀の総裁のもとで進められた大幅緩和・マネーストックの積み増し=国債の購入の結果、こうなってしまったのである。
  ※株価が大幅に上昇し、歓迎した面もあった、ことは認めざるを得ない。

 同時並行的に国債発行額は積み重なり、今や国の借金は1297兆円(GDPの2倍を軽く超える水準)となった。

 日銀のバランスシートの異常さは主要国中央銀行のそれと比べると異常さが際立つ。

 ヨーロッパ債務危機(ギリシャ、イタリア等々)を経験したECBでも日本の半分

 我が国はデフレを解消するためにこれほどまでの代償(国債残高及び日銀のバランスシートの大幅増)を払う必要があったのであろうか。もちろん、まだ真の代償は払っていない(円安は国民の大部分にとっては物価高という代償の一部となっているが)。

 大幅な金融緩和=低金利に日本経済とりわけ企業はなれきってしまったのではないか。本来であれば適正な金利を支払い、それが出来ない企業は淘汰される。競争を忘れた日本経済はますます世界的な地位を低下させている。この一因が低金利にあったのでないか(茹でガエル状態にあった)。

 しかし、金融正常化への道はハードルが極めて高い。一つは積み上がった国の借金。
  1980年代~1990年代後半まで国債残高は150兆円から300兆円まで増えた。この時の利払い費はおよそ10兆円。残高が1297兆円となった24年度予算では9.7兆円でほとんど変わっていない。
  金利が少し上がるだけで、国の利払い費は大幅に増える。こうなればプライマリーバランスの赤字はなくなるどころではない。

 もう一つは日銀の積み上がったバランスシートにある。日銀は多額の国債(589兆円、総額の45%)を所有しているが、そこに付けられている利息は平均で0.221%。借方にある当座預金には0.1%の利息を付けているのが200兆円あまりある。したがって金利を上げると日銀はたちまち赤字になってしまう。さらに所有している国債は帳簿上で減価(含み損1%上昇で28.6兆円)となってしまう。日銀の破綻を防ぐためには借金まみれの国が資金を注入するという笑えない事態に陥る。
 ※国債すなわち債券は、利子が上がると債券価格が上がるという関係にある。国債を償還期限まで持ち続ければ、額面での償還は保証される。

 我が国、そして国民はいずれ大幅緩和の代償(戦後すぐの預金封鎖、財産税の課税あるいはギリシャなどの例)を支払わなければならないと覚悟しておく必要がある。

 
  


 
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室内の花&3・4月読書 24.4.15

2024-04-15 17:51:39 | 面白い本はないか
 家の中では今君子蘭が満開である。

 二株は満開 一株はつぼみ

 昔からある君子蘭
 君子蘭は手間はいらない花である。ただし、新しい株が毎年出来てくるから、植替えするか株分けしないと鉢が一杯となって、鉢から抜けなくなってしまう。5月から11月までは外で遮光して育てる。

 久し振りに花が咲いたシンピジウム

 前にも書いたが、母が米寿のお祝い(12年前になる)に孫娘からもらったもの
 最初のうちは毎年花芽が数本できたが、鉢が一杯なり、やむなく株分けしたら途端に咲かなくなった 

 胡蝶蘭

 同上
 昨年の夏、遮光が十分できなかったため、数鉢枯らかした

 さて、久し振りに読んでいる本の話しをしたい。相変わらず読むのは新書が多い。
 3月~4月の新書 中公新書 安成哲三「モンスーンの世界」他4冊、朝日新書 小島健輔「アパレルの終焉と再生」他2冊、岩波新書 佐藤俊樹「社会学の新地平」他2冊
          新書の中では山崎雅弘「アイヒマンと日本人」(祥伝社新書)と「太平洋戦争秘史ー周辺国・植民地から見た「日本の戦争」はお薦め
          アイヒマン、ヒトラー政権下でユダヤ人の絶滅収容所への輸送に能力を発揮、戦後アルゼンチンに逃亡後、モサドによりイスラエルで裁判を受け、死刑となった。「上からの命令に従っただけ」という弁明は、決して人ごとではない
          後者は、大東亜共栄圏の中味あるいは戦後、日本の占領地の多くが独立できたのは、日本のおかげという一部政治家などの言説がいかに間違っているのかを明らかにしている。日本の軍部による占領政策はかえって反日感情を煽るだけとなった。 
 
 藤沢周平の「人間の檻獄医立花登手控え」の二~四を読んだ。揖斐川図書館の所蔵本は大体読んでしまった。ないのをアマゾンで買うかどうか

 長崎県出身の英国の作家でノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの本を3冊読んだ。文学面(翻訳文学はほとんど読んでいない)ではわからないが、それ以外(ノンフィクション)の翻訳本はおじさんには読みにくい。 それに比べてイシグロの本は読みやすい(もちろん、登場人物の心理描写は詳細にわたるが、この辺は苦手である。)。揖斐川図書館にあった「日の名残り」、短編集の「夜想曲集」、県図書館で借りた「わたしを離さないで」。最後の本は今日読み終えたばかりなのでこれを紹介する。
 主人公はキャシー・H、今31歳で介護人を11年以上やっている。わからないことが一杯でてくる。最初のページに出てくる「わたしが介護した提供者の回復ぶりは、みな期待以上」の中の「提供者」とは何か。キャシーは「ヘールシャム」という学校?の出身。「保護官」と呼ばれる先生?。とにかく読み進めないとわからない。だから、これ以上は書かない。だんだんと分からないことが分かってくるのが読書の楽しみの一つである。未来にこんなことが起きるかもしれない(もちろん、起こってはいけないことだが)と考えさせてくれる。
 




 
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国籍とは何か・在日問題について 24.1.21

2024-01-22 20:10:03 | 面白い本はないか
 昨年の9月17日付けで「国籍とは何か」を書いたが、この続編になるかもしれない「在日韓国朝鮮問題」について二つの本を紹介する。
 一つは、林晟一「移民国家ニッポン練習記 在日韓国人になる」と少し古いが中村一成「思想としての朝鮮籍」。二人とも在日三世で、日本生まれで日本育ちである。



 中身に触れる前になぜ在日問題に関する本を読むことが多いのだが、単純には安田菜津紀(「国籍と遺書、兄への手紙 ルーツを巡る旅の先に」「貴方のルーツを教えてください」)や今回読んだ林晟一のように若い世代の書いた本が出ていること(もちろん、これらの本を選書する県図書館の司書によって収蔵されている)、そしておじさんが戦後まもなくの生まれであり、在日について聞いたこと、学んだことがあり、人ごとではないと考えているからである。そして、日本の在留外国人数は322万人(23年6月時点)と増え続けている中で、その最初の大量の在留外国人となったのが在日朝鮮人であることから、過去の日本社会の在日問題について考えてみることが必要だと思うからでもある。

 なぜ日本で在日が問題になるかというと、言うまでもなく1910年に朝鮮を併合し、植民地としたからである。さらに中国やアメリカなどと戦争する中でで労働力が足らなくなり、その植民地から大量動員したことにより、最大200万人もの在日が存在することとなった(労働力が足りないとういう状況は現在再び起きている。これから日本は韓国など人口が急激に減る国と外国人獲得競争をしなければならない。)戦後130万人ほどは帰国したが、残りはやむを得ず(日本が戦争に敗れ、主権を失った朝鮮にソ連の支援する共産勢力とアメリカの支援する反共勢力が生まれ、半島は大混乱していた。)日本を生活の場として選び日本に留まった。彼らは植民地化、創氏改名などにより日本人とされたのだが、戦争が終わると外国人とされた(1952年4月、在日は日本国籍や国民としての権利を正式に奪われた。)。

 ※植民地であったならば、在日に日本国籍か朝鮮・韓国籍を選ばせるのが、道義的に正しいと思われる。しかし、日本は彼らによる左翼的な反政府運動を恐れ、この措置を執った。

 ※※1950年以前は在日の国籍は全てが「朝鮮」で、それ以後その朝鮮を「韓国」とすることがだけが認められた。一方日本は北朝鮮と国交がなく、「北朝鮮籍」を認めていないので、朝鮮籍は「北朝鮮籍」を意味しない。「朝鮮籍」を維持することは、北朝鮮を支持する、または南北統一による「朝鮮」を実現したいと思っているからと考えられている。これについては中村一成の「思想としての朝鮮籍」に詳しい。


 林は、戦後の在日史を、大まかに排除の時代(1945年~70年代)、統合の時代(70年代~90年代)、再排除の時代(2000年代~)に分ける。中村の本では、詩人の高史明、金石範など1940年~1950年代にかけて青年期を過ごした6人がインタビューに答えている。まさしく、排除の時代の生き証人であり、今や消えてしまったか消えつつある世代の人々である。日本が敗戦という「生き直し」の契機を捨て去り、米国に便乗しつつ、戦後補償のネグレクトに始まる「固有の利益」を実現する道を選んだ。それは政府の暴走ではなくて、社会全体がその破廉恥に順応した。彼らはそうした順応に抗し、共産党の運動に加わったり、民族運動、民族教育、文筆活動などを積極的に行ってきた。そうした生き様がいまだに「朝鮮籍」を選択させている。

 ※今在日の中で韓国籍なのは426,908人、一方朝鮮籍は27,214人(2020年) どちらも減っているのは、日本国籍を取得する在日がいるからであり、また日本人と結婚する在日が数多くいることもどちらの国政も増えない理由となっている。

 排除の時代を象徴するような、「日本に住む朝鮮人をすべて半島へ送還したい」と吉田茂首相は49年のマッカーサー宛書簡であけすけに述べた。そして、日本政府は、旧植民地人に日本国籍を自発的に選択する権利を与えなかった。在日は外国人登録証明書の常時携帯、指紋押捺を求められ、さらには公務員になれないし、公営住宅への入居を認められない、生活保護を除く社会保障全般の適用除外。もちろん彼らは税金を払う必要があったし、BC級戦犯となった者は、日本人同様刑に服した。一方で軍人恩給は彼らには支給されない。

 排除の時代に朝鮮半島出身であるにも関わらず、日本人のヒーロー(おじさんにとってもヒーローだった)となったのが、力道山であった。相撲界に入門し、関脇まで昇進したにも関わらず出自のコンプレックスから廃業、プロレスのスター選手となった。彼は日本国籍を取ったが、ファンやマスコミは彼の出自をおよそ知りながら熱烈に応援したのである。

 在日の立場が大きく変わったのは、70年代末のインドシナ難民の受け入れが黒船効果をもたらし、また国際人権規約加入につながった。こうして「統合の時代」は始まったのである。公営住宅への入居、国民年金、児童手当の適用、さらには国民健康保険への加入が認められた。93年には永住者・特別永住者の指紋押捺制度の廃止が行われた。在日側ではアイデンティティを保証する最も身近な要素として「名前」を問題視した。80年~90年代、通称名(創氏改名の日本風の名前)にかえて、本名を宣言するものが増えた(もちろん、出自を隠したい、いじめなどの差別に遭いたくない
との考えで通称名を依然として使う者も多くいた)

 ※日本の同調圧力は極めて強い。日本人と違う名前だけでも学校や職場などでいじめや差別を受ける。多文化共生社会を目指しているはずなのにこれでは全く到達できそうもない。名前も含めて、違っていることが当たり前なのだという教育、環境を作る必要がある。

 この時代、姜尚中が80年代に日本国籍取得について述べていたことを紹介する。彼は言う「在日の権利回復が進むほど日本人に同化しやすくなり、民族性がうすまる。よしんば日本国籍を得たとすれば、在日は琉球民族やアイヌと同等に扱われてしまう。」しかし、日本国籍取得者は減らなかった。「生きる上で有効なら日本国籍取得だって選択肢のひとつ」としてあっていいというのが在日の大方の考えであり、著者の考えでもあった。けれども、日本国籍を取得したものでも、「純粋な日本人」でないとの批判を受けるのである。

 ※姜さんは、2019年日本国籍を取得することもあるだろうと述べた。また在日としてのくびきから離れてもいいのではないかとも。若者にとって大事なのは「時代や世代という「設えもの」から離れ、自分なりの価値で生きること。この発言を変節と捉えるべきかどうか。

 しかし、2002年小泉首相の訪朝の結果、金生日が日本人拉致を認めたことにより、それまでの融和ムードは消し飛んでしまった。今や時代が逆戻りするかのような事態となっていくのである。日本の未来は危ういと考えてしまうのである。
 
 以上「在日韓国人になる」からほとんど引用してきたが、一つの見方に陥ることなく、幅広く在日問題を捉えていてとても参考になる。ちなみに林晟一の「晟」は金日成の2文字からなり、これは祖母がつけた名前だそうである。著者は当初「朝鮮籍」であったが、母親ともども「韓国籍」に変更した。

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歴史小説・時代小説を読む 23.11.18

2023-11-18 18:46:52 | 面白い本はないか
 読書は、おじさんにとって世界や社会、家族、個人に起こっている様々な事象を知るため、あるいは考えるためのものである。しかし、だからといって難しい本は、理解出来ないので、初心者でもわかるようなものばかり読んでいる。そうしていると、世界や日本等が直面している問題の難しさを知るにつれ心がどんどん重くなってしまう。もちろん、普段の生活にはさほど関係していないものが大半なので、重くなるのは読書の時だけとなる。

 ノンフィクションばかりであった読書から、少しづつフィクション、すなわち小説や小説家の書くエッセイなども読むようになってきた。村上春樹もいいけれども、藤沢周平や葉室麟の時代小説を今年後半からかなり読んできた。彼らの作品は、重くなった心に一服の清涼剤としての効用がありそうである。葉室は15冊、藤沢は13冊、少し少ないが吉村昭2冊。この中で葉室と藤沢はエンターテイメント性が強く一般的に時代小説、吉村は歴史をかなり忠実にたどっているので歴史小説ということになる。もちろん司馬遼太郎の作品の大部分は娯楽性が強いが歴史小説とされるようだ。

 ここでなぜこのようなブログを書くことになったかというと、葉室麟の小説2冊と一緒に今村翔吾の「教養としての歴史小説」という本を揖斐川図書館から借りてきて、読んだからである。彼は昨年「塞王の盾」で直木賞を受賞した。もちろん、おじさんはこの長い小説をまだ読んでいない。著書の経歴がすごい。小学校5年生で読んだ池波正太郎の「真田太平記」をきっかけに歴史小説に没頭。中学生になると歴史小説家に憧れ、月30~40冊ほど歴史小説を読み込んだとある。


 彼によると教養を高めるにはまず歴史を学ぶことが大事であると。ところが、この歴史、学校で習うのは暗記するためばかりで、少しも面白くない。(このことは東大の史料編纂所の本郷和人教授が「歴史学者という病」、「日本史を疑え」などで述べているように、歴史学者は史料に書かれていないことは述べることができなくて、自己の想像をたくましくして歴史を勝手に解釈できない。したがって、あまり面白くはならない。)歴史小説、時代小説であれば、作者がめいっぱい想像力を発揮して、面白く書いてくれるので、歴史が好きになるというわけである。このあと興味があれば、歴史家の書いたものを読めばいいのである。また、歴史小説から人としての生き方や振る舞い方、人情の機微なども学ぶことができる。

 著者が歴史小説家を世代別に分けている。
 第1世代 岡本綺堂(半七捕物帳)、野村胡堂(銭形平次捕物控)、中里介山(大菩薩峠)、直木三十五、子母沢寛(新撰組始末記)、大佛次郎(鞍馬天狗) ※おじさんが知っているあるい名前を聞いたことのある作品のみ 三十五が直木賞のもとだとずっと知らなかった

 第2世代 長谷川伸(瞼の母)、吉川英治、中山義秀、海音寺潮五郎、山本周五郎、山岡荘八、新田次郎 ※新田次郎が「武田信玄」を書いているのを知らなかった 中山以外は皆さんよく知られた作家ばかり

 第3世代 柴田錬三郎、山田風太郎、隆慶一郎、池波正太郎、遠藤周作、司馬遼太郎、陳舜臣、永井路子、藤沢周平、津本陽、笹沢左保、平岩弓枝

 第4世代 宮城谷昌光、高橋克彦、北方謙三、浅田次郎、松井今朝子

 第5世代 佐伯泰英、葉室麟、諸田玲子、山本兼一、火坂雅志、高田郁  ※知っている名前があるのはここまでで、この後の世代は全く知らない それだけ年をとっているということなのである

 第6世代 朝井まかて、伊東潤、木下昌輝、澤田瞳子、天野純希     

 第7世代 砂原浩太朗、永井紗耶子、川越宗一、今村翔吾 蝉谷めぐ実

 さらに、日本の歴史を知るための歴史小説10冊として、①国盗り物語(司馬遼太郎)、②徳川家康(山岡荘八)、③飛ぶが如く(司馬遼太郎)、④沈黙(遠藤周作)、⑤炎環(永井路子)、⑥平将門(海音寺潮五郎)、⑦白村江(荒山徹)、⑤聖徳太子(黒岩重吾)、⑨大義の末(城山三郎)、⑩樅の木は残った(山本周五郎)をあげている。このうちおじさんが読んだのは④と⑨の2冊、①、②、⑩は大河ドラマで拝見

 第2世代や第3世代の作家の作品は、大河ドラマとなっている。今村翔吾の最大の夢は、大河ドラマの原作者になりたいということだ。ちなみに最も多くの作品が大河ドラマとなったのは、司馬遼太郎で「竜馬がゆく」、「国盗り物語」、「花神」、「徳川慶喜」、「功名が辻」の6作品でもちろんダントツの一位である。※最近の大河ドラマはオリジナルの作品ばかりである。

 おじさんは、藤沢周平のドラマが大好きである。「立花登青春手控え」「三屋清左衛門残日録」「神谷玄次郎捕物控」「風の果て」、古いところでは「江戸の用心棒」(BSで最近見た)などたくさんある。もちろん、池波正太郎の「鬼平犯科帳」、「剣客商売」などは何回もBSで見せてもらっている。

 今村翔吾の本は図書館で借りて読んでみたい。他に山本兼一「利休にたずねよ」と池波正太郎の「真田太平記」にチャレンジしたいと思っているが、後者は12巻もあるのでちょっと無理かもしれない。



  

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国柄が違うからなのか・死刑制度 23.10.9

2023-10-08 19:25:54 | 面白い本はないか
 読書の秋となり、少し真面目な本を読むには良い時期である。県図書館で先月借りてきた10冊の中で最後に読んだのは、宮下洋一「死刑のある国で生きる」という370ページ余りの本である。日本の死刑制度については、このブログの2019年6月15日付け「映画ダンサー・イン・ザ・ダークの一場面が今でも」の中でディビッド・T・ジョンソン「アメリカ人のみた日本の死刑」で触れた。


 「死刑のある国で生きる」の著者はフランスやスペインなどに28年間住んでいるジャーナリストである。彼は、エピローグでこう言っている。「私は、死刑はあっても安全な国と、死刑はなくとも危険な国のどちらが良いかと問われれば、前者であると断言できる」(前者は日本、後者は欧米の国)と書いているように、死刑制度を支持する大半の国民の気持ちを理解できると書いている。先進国で死刑制度を採用しているのは、今やアメリカ(連邦と軍と27州が採用)と日本だけとなった。世界では死刑制度を廃止ないしは停止している国が増えつつあるの中で、日本の国民の死刑制度への支持はむしろ高まっている。これについて著者は、欧米人とは異なる正義や道徳の中で暮らしているとして、井田良教授(法制審議会会長、中央大学法科大学院)の「死刑制度と刑罰理論ー死刑はなぜ問題なのか」から「日本人にとっての死と生は、武士道の思想につながっており、自らの罪ないし恥を、死をもって贖い、精算することは日本人の感覚に根を下ろしている」と引用する。だからこそ、西側先進国の流れに合わせ、死刑を廃止することは、たとえ政治的に実現不可能ではなくとも、日本人にとっての正義を根底から揺るがすことになりかねない。

 もちろん、著者がこのような考えに至るまでの関係者へのインタビューと思索の中でのことである。その思索の旅を少したどってみよう。まずは、アメリカテキサス州(「死刑大国」と呼ばれる)の刑務所に収容された死刑執行日が一ヶ月を切った死刑囚とのインタビューから始まる。彼は、妻、娘、妻の父を殺害していた。驚くのは、著者はその死刑囚にたどり着くのに、全てオンラインで公開された情報(顔も)を基に刑務所長に連絡をとり、許可を得ていることである。面会する中で、罪を悔やみ、反省の言葉を述べている純朴そうな顔を思い出すと彼に与えられた刑罰が本当に正しかったのかと考えるに至る。新型コロナのために、この死刑囚の執行は延期され、再度の面会が可能になったのは、執行の10日前であった。テキサス州では、被害者及び加害者の親族そしてプレス関係者が薬物注射による執行現場に立ち会うことができるが、著者は立ち会いが許可されなかった。

 次にフランスの死刑制度についての調査が始まる。フランスではヨーロッパで死刑を廃止したのが、最も遅く1981年。それまでの執行方法は名高いギロチンだった。私たちは、これを残酷な方法だと考えるが、フランスの関係者には執行は一瞬で行われ、残酷ではないと主張する。確かに一理あると思ってしまう。江戸時代の死刑の一つ斬首(江戸時代の死刑には6種類あり、軽い方から下手人、死罪、獄門、磔、鋸引、火罪、前の3つが斬首で、ただし執行後の処理が異なる)の場面がドラマや小説で見られるが、これだと失敗する可能性が高いと思われる。訪れた刑務所からは既にギロチンは撤去されており、刑場には流れ出るおびただしい血が流れるように溝が作ってあった。

 フランスが遅まきながらも死刑制度を廃止を促したのは、ミッテラン時代に司法大臣を務めたロベール・バダンテールの議会での大演説だった。国民あるいは議会ではまだ死刑制度に賛成するものが多い中で演説を行った。「フランスは偉大であります。ヨーロッパで最初に拷問の廃止を実現した国」「奴隷制を世界で最初に廃止した国の一つでもある」「しかし、西ヨーロッパでは、死刑を廃止する最後の国のひとつ、ほぼ最後の国になりそうです」「明日、みなさまのおかげで、フランスの司法はもはや人を殺す司法ではなくなります。明日みなさま方のおかげで、明け方にフランスの刑務所の黒いひさしの下でこっそり行われる、我々の共通の恥とも呼べる死刑がなくなります。」

 次に著者は日本の3人の死刑囚ないしは未決死刑囚の関係者に会いに行く。そこでの問いは、「死刑は被害者遺族を救うのか」というものだった。被害者親族の裁判への参加が認められるようになった。そこでは加害者に極刑を望みますという願いを聞くことが多い。しかし、彼らは心底そのように考えているのだろうか。母親を殺された被害者宅を著者は訪れる(このようなインタビューに応じることが日本では少ないのではないか)。3時間に及ぶインタビューの最後に、著者は遺族に「N(実名あり)の刑が執行されたら、心の平和は訪れると思いますか」と尋ねた。父親は「ひと段落したと思うでしょうね、きっと」と答える一方で「Nが死のうが生きようが、母親は帰ってこないですからね」。著者はさらに「ならば、死刑でなくても、仮釈放のない終身刑という考え方もあるのでは」と尋ねる。父親は「それやったらまだ分からないです(死刑と終身刑とどちらが良いのか)」と答えた。

 以上で本の紹介は終わる。本を読んで思ったのは、終身刑は想像以上に過酷な刑罰であるかもしれないということだった。死の恐怖からは逃れられても、拘束された状態は死ぬまで続くことは普通の人間にとって耐えがたいことではないか。しかし、日本の死刑は執行まで長い年数が経過している例が多いうえに、いつお告げが来るかわからない。これは極めて残酷なことではないだろうか。私は、フランスのような政治家が出てきて、死刑制度がなくなる形が最も望ましいと考えるようになってきた。時間がどれだけかかるかわからないが、その希望は失いたくない。

 親鸞は、私たち全員がお念仏を唱えれば成仏できると言った(浄土真宗大谷派(お東)は日本の宗教界で初めて死刑制度の廃止を訴えた)。

 
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