本来であれば最も印象に残る本について書くべきだとは思うのだが、記憶力、理解力もともと乏しく、さらに年齢のせいでさらに悪化している。従ってどうしてもつい最近読んだ本が印象に残りやすく、古くなればなるほど印象が薄くなる。そんな言い訳を言うくらいなら、書かなくてよいという批判を受けるかもしれないが、これは日記であり、その時に何をしたかあるいは何を考えたかについて書いているのだからという弁解をしたい。もちろん、内心では人に読んでもらいたいと熱望していることは言うまでもない。
ここのところ伝記、いわゆる偉人伝について読むことが多い。今日は親鸞聖人の伝記、ひろさちや著「親鸞を生きる」を読み終わったところだ。親鸞の思想は絶対他力であり、阿弥陀仏を信じることただそれだけで救われるというものだ。法然の浄土宗もお念仏を唱えるだけで成仏できるというものだが、そこには「お念仏」という自力が存在する。私たちは皆阿弥陀仏により生かされている存在であるから、仏を信じ、自分に与えらた人生を生きるほかはない。困っている人がいても、その人たち全員を私たちは救うことはできない。これができるのは仏以外にない。理解出来るところも多いのだが、あまりにも人間は非力だとする考えにはついていけない。ちなみに家は浄土真宗いわゆる「おひがし」である。
大河ドラマの中でこれほど欠かさず毎回見たことはないのが「青天を衝け」(登場人物が多すぎて誰が誰だかしまいにはわからなくなったが)。図書館の伝記の棚を見ていたら澁澤秀雄著「澁澤栄一」という本があった。秀雄は栄一の四男(最初の妻千代がコレラで亡くなったのち、再婚したかねとの子。本の中にあるたくさんのエピソードがドラマの中でも取り上げられていた(脚本家はある程度史実に基づきながら、時に想像力を働かせて史実を膨らますのか。)。先に本(澁澤栄一について書かれた本はたくさんあるようだが、どれも読んでいない)を読む方が面白いのかもしれない。ちなみに栄一は婚外子を含めて子どもが20人以上あったが、この本でも巻末に家系図が載せてあり、そこでは10人ばかりとなっている。げすの読み方かもしれないが、当時はこうしたこともあまり問題となることはなかったのだ。
岸信介と東条英機について書かれた本、太田尚樹著「満州と岸信介」、同「東条英機」を読んだ。岸は「昭和の妖怪」と言われるように満州の経済5カ年計画を見事に成功させ、その後東条内閣の商工大臣で彼の辞任が東条の退任につながった。言うまでもなく安倍晋三はかれの孫にあたる(父安倍晋太郎の妻洋子が岸信介の娘)。東条は日米関係が険悪になってきたとき、中国からの撤兵をあくまでも拒みつつけ、これが原因で太平洋戦争が始まった。短時間で片が付くと思った中国だが、日本軍は中国という広大な土地の点だけを抑えることができても面を押さえることはできなかった。そもそも何のために中国と戦争を始めたのかがよく分からない(満州侵略は資源確保、ロシアへの牽制など理由付けはできる)。この時宇垣一成とかが首相になっていれば歴史は変わったかもしれない。このとき「ポーツマスの旗」(主人公は小村寿太郎)に書かれたような政治家や軍人がいたならば・・・と考えて見るのも面白い。また、軍の資金(国家予算からの資金ではない)源としてケシから精製されるアヘンの販売の利益により様々な活動をしてきたことも明らかにされる。そして大杉栄等を虐殺したとされる甘粕正彦(本当の犯人でないという説もある、軍を辞めた後も軍との深い関係が続いたことからもその説を裏付ける)彼の満州での活躍振りも描かれる。
石牟礼道子(3月30日付け「石牟礼道子と渡辺京二」に紹介した)については、その関連の本がいまだに出されている。それだけ多くの知識人と交友し、影響を与えたということだろう。石牟礼と渡辺との不思議な関係が米本浩二著「魂の邂逅」に丁寧に描かれている。公害問題の原点であり、企業の悪にある意味荷担する国、労働組合の実態が分かってくる。建築家の安藤忠雄も面白い。本は残さないが、特徴ある建築物を残す(建築家にとってそれは一種の芸術品であるのだが、使い勝手が悪いことが多い)。平松剛著「光の教会安藤忠夫の現場」は建築専門家の手によるものだけに一段と面白い。
今年1月3日付けのブログ記事「初読みマルクス」。現在の資本主義が行き詰まり、富める者と貧しい者の格差が広がり続ける。その格差は生まれてくる家庭の経済的資源や文化的資源により再生産される。「中流」だと思っていても、実は「下流」に多くの国民がなっていく。アフリカの最貧国の生活と比べれば恵まれている(絶対的貧困ではない)けれど相対的貧困状態にある国民は多い。マルクスの出番はまだまだ続く。熱き人々で取り上げた井手英策氏などに頑張ってもらうしかない。
明日は大晦日、暗い日本でありますが、とにかく健康に注意し、良い年をお迎えください。
ここのところ伝記、いわゆる偉人伝について読むことが多い。今日は親鸞聖人の伝記、ひろさちや著「親鸞を生きる」を読み終わったところだ。親鸞の思想は絶対他力であり、阿弥陀仏を信じることただそれだけで救われるというものだ。法然の浄土宗もお念仏を唱えるだけで成仏できるというものだが、そこには「お念仏」という自力が存在する。私たちは皆阿弥陀仏により生かされている存在であるから、仏を信じ、自分に与えらた人生を生きるほかはない。困っている人がいても、その人たち全員を私たちは救うことはできない。これができるのは仏以外にない。理解出来るところも多いのだが、あまりにも人間は非力だとする考えにはついていけない。ちなみに家は浄土真宗いわゆる「おひがし」である。
大河ドラマの中でこれほど欠かさず毎回見たことはないのが「青天を衝け」(登場人物が多すぎて誰が誰だかしまいにはわからなくなったが)。図書館の伝記の棚を見ていたら澁澤秀雄著「澁澤栄一」という本があった。秀雄は栄一の四男(最初の妻千代がコレラで亡くなったのち、再婚したかねとの子。本の中にあるたくさんのエピソードがドラマの中でも取り上げられていた(脚本家はある程度史実に基づきながら、時に想像力を働かせて史実を膨らますのか。)。先に本(澁澤栄一について書かれた本はたくさんあるようだが、どれも読んでいない)を読む方が面白いのかもしれない。ちなみに栄一は婚外子を含めて子どもが20人以上あったが、この本でも巻末に家系図が載せてあり、そこでは10人ばかりとなっている。げすの読み方かもしれないが、当時はこうしたこともあまり問題となることはなかったのだ。
岸信介と東条英機について書かれた本、太田尚樹著「満州と岸信介」、同「東条英機」を読んだ。岸は「昭和の妖怪」と言われるように満州の経済5カ年計画を見事に成功させ、その後東条内閣の商工大臣で彼の辞任が東条の退任につながった。言うまでもなく安倍晋三はかれの孫にあたる(父安倍晋太郎の妻洋子が岸信介の娘)。東条は日米関係が険悪になってきたとき、中国からの撤兵をあくまでも拒みつつけ、これが原因で太平洋戦争が始まった。短時間で片が付くと思った中国だが、日本軍は中国という広大な土地の点だけを抑えることができても面を押さえることはできなかった。そもそも何のために中国と戦争を始めたのかがよく分からない(満州侵略は資源確保、ロシアへの牽制など理由付けはできる)。この時宇垣一成とかが首相になっていれば歴史は変わったかもしれない。このとき「ポーツマスの旗」(主人公は小村寿太郎)に書かれたような政治家や軍人がいたならば・・・と考えて見るのも面白い。また、軍の資金(国家予算からの資金ではない)源としてケシから精製されるアヘンの販売の利益により様々な活動をしてきたことも明らかにされる。そして大杉栄等を虐殺したとされる甘粕正彦(本当の犯人でないという説もある、軍を辞めた後も軍との深い関係が続いたことからもその説を裏付ける)彼の満州での活躍振りも描かれる。
石牟礼道子(3月30日付け「石牟礼道子と渡辺京二」に紹介した)については、その関連の本がいまだに出されている。それだけ多くの知識人と交友し、影響を与えたということだろう。石牟礼と渡辺との不思議な関係が米本浩二著「魂の邂逅」に丁寧に描かれている。公害問題の原点であり、企業の悪にある意味荷担する国、労働組合の実態が分かってくる。建築家の安藤忠雄も面白い。本は残さないが、特徴ある建築物を残す(建築家にとってそれは一種の芸術品であるのだが、使い勝手が悪いことが多い)。平松剛著「光の教会安藤忠夫の現場」は建築専門家の手によるものだけに一段と面白い。
今年1月3日付けのブログ記事「初読みマルクス」。現在の資本主義が行き詰まり、富める者と貧しい者の格差が広がり続ける。その格差は生まれてくる家庭の経済的資源や文化的資源により再生産される。「中流」だと思っていても、実は「下流」に多くの国民がなっていく。アフリカの最貧国の生活と比べれば恵まれている(絶対的貧困ではない)けれど相対的貧困状態にある国民は多い。マルクスの出番はまだまだ続く。熱き人々で取り上げた井手英策氏などに頑張ってもらうしかない。
明日は大晦日、暗い日本でありますが、とにかく健康に注意し、良い年をお迎えください。