城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

青春プレイバック・早月尾根 20.7.28

2020-07-28 12:32:36 | 過去の山登り記録
 剱に最初に登ったのは、就職した年の9月に立山、剱から欅平と昭和51年8月に剱に登り長次郎谷に下ったのが2回目、そして3回目が早月尾根から登った。私の知っている人でも結構な人が剱に通ったと聞いている。こちらは剱の岩場に通ったという話であり、おじさんの一般登山者のレベルとは全く違う。いずれにせよ登山愛好家なら一度は登ってみたい秀峰であるが、今は登山者が多すぎて時間待ちを強いられるし、ヘルメットもいつからか必要となった。

 あらかじめお断りしておくと早月尾根の写真がほとんど残っていない。数年前に整理した時に良い写真以外は破って捨ててしまったことから、良い写真がなかったことになる。天気が悪く撮れなかったのか、無精だったのか今となってはわからない(記録を見ると天気は良かった!)。それでも黒戸尾根を一回目に書いたこともあり、このシリーズにいれることにした。どうかご理解をいただきたい。なお、初日の伝蔵小屋とあるのは、現在の早月小屋で当時の名前。

 概略図

日時 昭和55年(1980年)9月13日~15日
同行者 U氏、K氏、S氏、M氏

◯一日目 上市6:10→馬場島7:40→避難小屋11:30~12:30→伝蔵小屋13:20
 馬場島で腹ごしらえし、長い尾根の登りに一歩を踏み出す。見上げると首が痛くなるような登りが続いているが、登山道は良く整備されている。立山川がはるか下に見える。20分ほどで松尾平となり、前、奥と続く。この尾根の中では最も緩やかな登り。この後本格的な登りとなる。天気は曇りで暑くないが、汗がしたたり落ちる。30~40分毎の休憩を楽しみにひたすら登る。標高200m毎に道標が立っている。2000M付近に石造りの避難小屋があったが、使用は難しそうだ。ここでお昼の休憩。
 ここから伝蔵小屋までは1時間弱、小屋の手前で剱の本峰が初めて見えた。大日岳の稜線が右の方に見えている。小屋はこぎれいでテント場も良く整備されていた。水は天水で小屋から買わないといけない。設営後、にわか雨が何度かテントを襲った。

 テントを設営するおじさんとS氏、それを見守るU氏
 当時はまだ三角屋根のテントが主流であった。これは会のテントで5~6人用。
 個人的には既にドーム型の3人用のテント(ポールはグラスファイバー)だった。

◯二日目 小屋5:55→剱岳8:55~10:30→剱沢
 4時前に起床し、すぐに朝飯ーうどんと餅ーの用意。今日は快晴だった。こかから山頂まではまだ800mの登りがあるが、目的地は剱沢なのでゆっくりと登れば良い。既に低木帯に入っているので、展望は最高。左手に大窓、小窓、池ノ谷、右手に東大谷、大日岳を望みながらの登り。右手はるかに室堂が見えてくると2600mの道標に達する。既に森林限界を越え、岩稜の登りとなってくる。夏にはお花畑であったところを過ぎると鎖場が随所に現れる。本峰に立つ人が見えるようになると一ピッチで頂上に到着。 
 頂上は既に登山者で一杯で、特に女性が多いのには驚いた。山頂からは北アルプスをは始め多くの山々が眺望できるのに加えて、あまりの上天気ということもあり、ここで大休憩となった。下りにかかるとあまりに多い登山者のためカニの横ばい付近は大渋滞となる(現在は確か登りと下りに分けられていると聞いたが)。時間待ちを数回繰り返して、前剱、一服剱と下っていく。

 剱沢の雪渓も今はわずかに真砂沢付近に残るのみとなっている。三田平ではテント、フライを乾かし、人間様もトカゲのように日光浴。夕食のカレーを済ませると、U氏、M氏、K氏は酒盛りを始める。S氏はすでに高いびき。私は寒いので、シュラフに潜り込む。外は満天の星、明日もまた快晴のようである。

◯三日目 剱沢→雄山→室堂10:40→富山16:23→岐阜21:03
 三田平から別山乗越へ、4年前に重荷を背負って登った道である。剱御前小屋から別山を経て立山に向かうが、S氏が膝を痛めたらしく早く歩けなくなった。日本海側から風が強く吹いている。大汝の登りはつらかったが他はハードなところはない。雄山まで来ると、登山者の足回りは、ほとんど運動靴となり、ザックもうんと小さくなる。老人や団体様も多くて、皆雄山神社の札と鈴を付けている。ここが3000mの高所だとはにわかに信じがたい。さらに一ノ越からは街の歩道と区別がつかないくらいだ。

 雄山神社にて S氏とおじさん

※黒戸尾根と早月尾根登り比べ
 裏銀座のブナ立て尾根(烏帽子小屋から高瀬ダム)と合わせて確か三大急登と言った。ブナ立て尾根は2回とも下りなので比較はできないが、やはり黒戸尾根の登りがこの中では一番の登りだと思う。

※※S氏のこと
 彼とは一時期よく遊んだし、下宿にもよく泊まった。東濃地方の出身で技術者。少し人を食ったところもあるが、ユニークな性格だった。文章を書かせると意味のわからないことを書くこともあった。アルコールには弱く、飲むとすぐに寝てしまった。かれが結婚してからは、年賀状くらいのやりとりですっかり疎遠となってしまった。 
 
※※※登山用衣服の変遷について
 登山用パンツ ニッカーポッカー(私が買ったのはウール。夏は暑いがほとんどこれ一枚で四季を通じてOKだった)
        →ジャージー(夏山ではこれが主になった、軽い、すぐ乾く)
        →今はファイントラックやモンベル製のパンツ、さらにヤブや沢ではワークマンのパンツ(1900円)
 登山用シャツ シャツもウール製のいわゆる山シャツ→夏はTシャツ まだ速乾性のシャツは少なかった、今でも夏用の薄い生地のウール製もある。
        おじさんが参加した登山ツアーでガイドが着ていたウールのシャツをしめして、「これ3日間着ていてもくさくならないのですよ」と。
        でも遠征隊でもないからやっぱり着替えしたいですよね。
        今はアルプスに行くときはまずファイントラックかな。汗を大量にかいてもすぐ乾く。しかし、ヤブ山では生地が薄いので不可。
 アンダーウェア かつては夏は木綿製、雪のあるときはウール、今は速乾性の下着。やはりファイントラックはお薦めかな。 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 青春プレイバック・北鎌尾根 ... | トップ | 青春プレイバック・黒部赤木... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

過去の山登り記録」カテゴリの最新記事