さて、このシリーズも最終回の黒部赤木沢となった。実はこの山行の記録は時間のみ残っていて、ほかはどこかに失われたかそもそも書いていないのかわからない。このため、想像で書いている部分が多くある。まずは、赤木沢に行くことになった理由は、「山と渓谷」に特集されており、特集の前かどうか不明だがU氏(北鎌、早月で一緒だった)が前年に行っていて、薦められたからである。沢登りの経験は鈴鹿の簡単な沢があるのみでないに等しいが、幸いこの赤木沢は沢登りとしては初心者でも問題がないらしい。沢登りの道具だが、現在のように沢シューズなどなく、地下足袋にわらじを着けるというのが当時の標準であった。
概略図
詳細図(黒部川から赤木沢)
日時 昭和56年(1981年)7月31日~8月2日
同行者 U氏、K氏、G氏、S氏、I氏
◯一日目 岐阜0:20→高山4:36~4:45→有峰口5:25~5:45→折立平6:45~7:35→太郎平小屋11:30~12:15(昼食)→薬師沢小屋14:15~14:45→赤木沢出合16:40(テント泊)
7年前(その時は薬師岳~雲ノ平~双六)に登った折立から太郎平への道。太郎平からは薬師沢に沿って、黒部川まで下っていく。そして薬師沢小屋からは黒部川本流を赤木沢出合まで遡行する。小屋から下流は黒部上廊下でベテランだけが遡行できる。小屋からは黒部川に沿って付けられた(人が通るので自然にできた道だと思うが)道、時には川の中を遡っていく。(確かテレビで山好きな俳優が赤木沢を遡行する予定であったが、この時は水量が多く中止となった。)水量は多くなく、小屋から2時間で出合に到着。出合付近の平らなところがサイト地となった。テント設営後、釣り好きなG氏が釣り竿を出したが、釣果はなく、夕食のおかずとはならなかったのは残念。
赤木沢出合
◯二日目 出合7:20→乗越10:55~11:55→黒部五郎岳12:50→黒部五郎小屋15:05(テント泊)
今日は、いよいよ今回の山行のハイライト。この沢の石は赤みを帯びているのが特徴でとにかく空に大きく開けていて底抜けに明るい。
休憩中 G氏再び竿を出すがあたりなし
上の方まで上がってきた 右の写真には上部に雪渓が見えている
沢の水は徐々に少なくなり、岩場から草付き斜面を流れる小川のようになってくる。そして大きな雪渓の上を歩いて行く。最高のフィナーレだ!!
上 赤木沢源頭の雪渓 下 稜線に出る 後方は黒部五郎岳
黒部五郎山頂への登り、カールの端に立つ。ここで山頂に向かう者とそのまま黒部五郎小屋のサイト地に直接行く者とに分かれる。黒部五郎は6年前、神岡新道から笠ヶ岳を縦走したときに登ったので、2回目。山頂からの絶景を楽しんだ後、小屋へと急ぐ。
◯三日目 小屋5:15→三俣蓮華岳6:45→双六小屋8:25→鏡平小屋10:10→新穂高13:40~15:00→高山18:22→岐阜20:53
特段の記録無し
※山の情報は何で得ていたか
当時今のようにネットはないので、人に聞くか、アルパインガイドあるいは「山と渓谷」や「岳人」などの雑誌(若い頃定期購読していた)が頼りとなる。しかし、アルプスなど有名な山は載っているが、奥美濃などマイナーな山の情報はほとんどない。唯一、岐阜新聞(当時は岐阜日々新聞)が発行した「ぎふ百山」あるいは「続ぎふ百山」があるが、この本は歴史や伝説などは詳しく書いてあるが、登山情報は少なく、あまりあてにならない。そうすると、やはり定評のある山岳会に入会するのが一番の早道だが、厳冬期とか岩登りとかやっている会は敷居が高すぎる。今はネットで検索すればほとんどのコースが紹介されているので便利だが、経験のない者ばかりで行くようなことは低山でも時には危険である。
これでこのシリーズは終わるが、今と比べると随分違うと思っただろうか。今回、このシリーズを書きつつ思ったことがあるので書いてみたい。若い頃色々な山に登ってきた。アルプスに登ればその雄大な景色に感動し、苦しかったことも忘れ、すぐに次の計画を考えていた。しかし、今思うのは、一緒に登ってくれた山友がいたからこそ、その感動を分かち合い、テントでは様々なことを話してきたのだと。山の歌を歌い、あるいは流行歌も歌った(U氏などは必ず「別れても好きな人」を歌っていた)。途中の中断はあったものの、今に至るまで続けてこれたのはこの楽しさがあったからこそなのだと。もちろん、たまに一人で登ることもあったが、大勢(といっても5,6人)で登る方が断然楽しい。仕事上の友もいるけれども、やはり趣味が同じ友の方が忘れがたい。年をとるにつれ、新しい友を作ることは難しくなるので、余計にそう思うのである。
概略図
詳細図(黒部川から赤木沢)
日時 昭和56年(1981年)7月31日~8月2日
同行者 U氏、K氏、G氏、S氏、I氏
◯一日目 岐阜0:20→高山4:36~4:45→有峰口5:25~5:45→折立平6:45~7:35→太郎平小屋11:30~12:15(昼食)→薬師沢小屋14:15~14:45→赤木沢出合16:40(テント泊)
7年前(その時は薬師岳~雲ノ平~双六)に登った折立から太郎平への道。太郎平からは薬師沢に沿って、黒部川まで下っていく。そして薬師沢小屋からは黒部川本流を赤木沢出合まで遡行する。小屋から下流は黒部上廊下でベテランだけが遡行できる。小屋からは黒部川に沿って付けられた(人が通るので自然にできた道だと思うが)道、時には川の中を遡っていく。(確かテレビで山好きな俳優が赤木沢を遡行する予定であったが、この時は水量が多く中止となった。)水量は多くなく、小屋から2時間で出合に到着。出合付近の平らなところがサイト地となった。テント設営後、釣り好きなG氏が釣り竿を出したが、釣果はなく、夕食のおかずとはならなかったのは残念。
赤木沢出合
◯二日目 出合7:20→乗越10:55~11:55→黒部五郎岳12:50→黒部五郎小屋15:05(テント泊)
今日は、いよいよ今回の山行のハイライト。この沢の石は赤みを帯びているのが特徴でとにかく空に大きく開けていて底抜けに明るい。
休憩中 G氏再び竿を出すがあたりなし
上の方まで上がってきた 右の写真には上部に雪渓が見えている
沢の水は徐々に少なくなり、岩場から草付き斜面を流れる小川のようになってくる。そして大きな雪渓の上を歩いて行く。最高のフィナーレだ!!
上 赤木沢源頭の雪渓 下 稜線に出る 後方は黒部五郎岳
黒部五郎山頂への登り、カールの端に立つ。ここで山頂に向かう者とそのまま黒部五郎小屋のサイト地に直接行く者とに分かれる。黒部五郎は6年前、神岡新道から笠ヶ岳を縦走したときに登ったので、2回目。山頂からの絶景を楽しんだ後、小屋へと急ぐ。
◯三日目 小屋5:15→三俣蓮華岳6:45→双六小屋8:25→鏡平小屋10:10→新穂高13:40~15:00→高山18:22→岐阜20:53
特段の記録無し
※山の情報は何で得ていたか
当時今のようにネットはないので、人に聞くか、アルパインガイドあるいは「山と渓谷」や「岳人」などの雑誌(若い頃定期購読していた)が頼りとなる。しかし、アルプスなど有名な山は載っているが、奥美濃などマイナーな山の情報はほとんどない。唯一、岐阜新聞(当時は岐阜日々新聞)が発行した「ぎふ百山」あるいは「続ぎふ百山」があるが、この本は歴史や伝説などは詳しく書いてあるが、登山情報は少なく、あまりあてにならない。そうすると、やはり定評のある山岳会に入会するのが一番の早道だが、厳冬期とか岩登りとかやっている会は敷居が高すぎる。今はネットで検索すればほとんどのコースが紹介されているので便利だが、経験のない者ばかりで行くようなことは低山でも時には危険である。
これでこのシリーズは終わるが、今と比べると随分違うと思っただろうか。今回、このシリーズを書きつつ思ったことがあるので書いてみたい。若い頃色々な山に登ってきた。アルプスに登ればその雄大な景色に感動し、苦しかったことも忘れ、すぐに次の計画を考えていた。しかし、今思うのは、一緒に登ってくれた山友がいたからこそ、その感動を分かち合い、テントでは様々なことを話してきたのだと。山の歌を歌い、あるいは流行歌も歌った(U氏などは必ず「別れても好きな人」を歌っていた)。途中の中断はあったものの、今に至るまで続けてこれたのはこの楽しさがあったからこそなのだと。もちろん、たまに一人で登ることもあったが、大勢(といっても5,6人)で登る方が断然楽しい。仕事上の友もいるけれども、やはり趣味が同じ友の方が忘れがたい。年をとるにつれ、新しい友を作ることは難しくなるので、余計にそう思うのである。
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