不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

小津部落から高屋山に登る 21.1.14

2021-01-14 17:28:28 | 山登り
 年末の池田山から雪の多い山に登っていない。考えてみれば、2月、3月に比べて1月に揖斐の雪の山にあまり登っていない。そこで、いつものEさん、Kさんを誘い、小津から高屋山(三等三角点「高屋」955.97m)を目標に計画をたてた。本来なら高屋山を経由して、小津権現山まで行きたいところだが、雪の量と当方の体力を考え、無理だと判断した。当日、嬉しいことに20代のKくんも来てくれることになった。勇気百倍である。雪の小津権現山は、約7年前の3月大垣山協で登っている。この時の記憶では雪が少なく、小津権現には15人という大人数にもかかわらず約5時間で到着し、山頂直下にテント泊し、翌日花房山からモレ谷林道に降りた。この時リーダーとなったのはEさんである。この頃のEさん、80Lのザックに2.5kgの一眼レフを入れていた。

 揖斐の街からトンネルを越えるたびに雪の量が増えてくる。7時半少し前に小津体育館前に車を停めた。ここから登山口に向かう。

 小津
40年以上も前に登っているはずだが、全く登山口がどこにあるのか記憶が無い。Eさんに導かれるままに神社を過ぎ、民家のすぐそばが登山口だった。

 神社

 登山口 7:43
すぐにEさんとおじさんはスノーシュー、Kさんと若いKくんはワカンを着けた。植林された中を登っていく。赤布が付けてある。

 杉谷林道終点(駐車場)は近い

 雪に埋もれた林道終点に着いた。ここまでEさん腰の不調をおして登ってもらったが、後のことも考え、大事をとり、下山した。

 林道終点 8:45
しばらく比較的緩やかな登りが続く。見覚えのある倒木やコンクリートの2本の支柱のそばを過ぎていく。

緩斜面

 緩斜面2

途中からKくんが先頭をずっと務めてくれた。これで体力を随分温存できた。

 緩斜面3 もう高屋山は近いと思ったが、この後40分も登った!!

 小津権現山が見えてきた 今度こそ高屋山は近い

 ついに高屋山に到着 11:29

 高屋山から小津権現山頂まで夏道なら約1時間だが、今日の状態なら最短で2時間遅いと3時間かかる。高屋山に登れたことで十分満足できる。30分ほど無風の中、昼食をとった。しかし、それでも体が冷えてきた。12時過ぎに下り始める。ワカンの二人はとにかく速いが、スノーシューは緩斜面は良いが、急な下りはゆっくりと下らないと横滑りしてしまう。それでも1時間半で登山口に着いた。登山口近くの民家の二人のおばさん(おじさんと同年齢くらいか)が興味津々そうに我々一行を見つめている。聞いてみると、こんな雪の中を登る人が信じられないとか。おじさん、つい得意になって、雪の山の楽しさ、スノーシューやワカンの説明をしてしまった。

コースタイム 登山口7:43→林道終点8:45→高屋山11:29~12:05→登山口13:35


 緑色が今日歩いた道 標高448m付近が林道終点 左端のカメラマークが高屋山

☆☆Eさんが自身のブログ「奥揖斐山荘」で「MSRが泣いている 0104」という記事を書いている。おじさんがスノーシューMSRを使った経験はEさんより少ないが率直な感想を述べたい。結論から言うと、奥揖斐の山に登る限り、そして3人以上で登る場合、スノーシューよりワカンの方が優れていると思う。特にスノーシューはワカンに比べると重い。従って、体力に自信がない人は軽いワカンの方が使い勝手が良い。登りはワカン以上だと思うが、下り特に急な下りに弱い。さらに、参加人数が多い場合、一人当たりのラッセルは少なくて済むのでワカンが圧倒的に有利となる。ただし、まだ踏まれていない雪道を登るときの優位さは確かにある。一人あるいは二人で雪山を楽しむ場合、明らかにスノーシューは奥揖斐の山でも活用できる。(ただし、Eさんが言っているようにMSRはアイゼンが着いている。したがって、軟雪よりも硬い雪でより効果を発揮する。さらにヒールアップできる仕組みがあるので、急な登りには大いに有利である。)
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バラの準備ーつるバラの剪定と誘引 21.1.12

2021-01-12 19:21:15 | バラ、クレマチス等
 つるバラが一本でも庭にあると、春5月にはその豪華な咲き振りを楽しむことができる。そのつるバラの剪定と誘引を他のバラに先駆けて行う。というのはつるバラはアーチなどに絡ませているため、今の時期だとアーチから大きくはみ出して、昨年6月以降に伸びた枝が我が物顔で直立している。このままだと、花が少なくなってしまう。すなわち、水平から約55度の傾斜にところに花は多く咲き、それ以上になると花は少なくなる。

 5月のつるバラ アンクルウォルター このアーチには両方から2本のつるバラ

 剪定前(1月11日)のアンクルウォルター

 まず伸びきった枝の剪定を行う。昨年の5月に咲いた枝は花後に枝元3cmを残して剪定してある。6月以後に長く伸びた枝の先端30cmを剪定する。そして、昨年シュート(株元近くから6月以降に伸びた太い枝、伸び始めは赤い色をしている)が出ていたなら、木化した古い枝を株元から切る。この繰り返しにより、株の更新ができる。このしくみは他のバラでも同じである。そのためにはきちんとした施肥をしなければならない。ただし、品種によってはほとんどシュートが出ないものがある(この場合どうしたら良いのかおじさんにもわからない。いずれは枯れる。)剪定が終わったら、後はアーチにくくりつける。ガイドブックには交互にアーチにくくりつけると書いてあるが、無理にやろうとすると折れてしまうので難しい。

 剪定、誘引後


  今日はまだ雪が予想されるので、つるバラ以外については折れないように上の方、細い枝を中心に切り落とした

 一時期鉢のバラは10以上あったが、今は5鉢しかない。しかも、そのうち3鉢は昨年買ったバラ
 鉢の管理に少し自信をなくしている

 つるバラ以外の剪定は1月下旬から2月上旬に行う。これにあわせて、硫黄石灰剤による薬剤散布と元肥を施す。硫黄石灰剤は今小口で売られていないのが悩ましい。おじさんは18L入を買ったが、生きているうちに使い切れない。肥料もいろいろなところから買ってみたが、試してみて最も良い結果だったのは、鳥取県の清水園芸店の有機肥料「ローズサポーター」20kg(送料込みで5900円)、地植えのバラが沢山あるならこの肥料が最もコストパフォーマンスが良い。おじさんの場合(地植え20本)で1年と少しもつ。シュートが良く出てくれる。ただし、鉢植えとなるとあまり良い結果は出ていない。

 最後に1月9日に百々ヶ峰に登ったときMさんとの会話を紹介する。彼女によると、11月にバラを剪定し、完熟牛糞を施したと。剪定の時期が早すぎるのが第一点、そして牛糞は肥料にはならない(肥料にならないから早い剪定にもかかわらず、害が出ていないのだと考えることができる)。バラの活動期3月~11月頃までは花が咲いたら五枚葉を一つつけて剪定する。ただし、秋前の剪定はもう少し深くする。浅いとすぐに花がさいてしまう。12月~2月はバラの休眠期であり、この時期なら深く剪定したり、植え替え(根鉢を崩さなければ盛夏を除き植え替えは可能)したりできる。そして牛糞、微量の肥料分(窒素、リン、カリ等)はあるが、茎を育てる、花を咲かすことにおいては全く足りない。牛糞はおじさんも頻繁に使うが、あくまでも土壌改良のための有機成分の補給として使う。バラの上には土の跳ね返りを防ぐ(すなわち黒点病予防)ために牛糞を置く。

 クリスマスローズは、一部につぼみが見えているが、まだ咲きだしたものはない。この花は普通の花とは逆のサイクル(元が地中海気候、夏に雨が少なく、冬に雨が多いに適応。典型的なものがシクラメン)で活動期が9月~3月、休眠期が4月~8月となる。ただし、クリスマスローズは休眠期に植え替えはしない。推奨は9月となる。この花は肥料大好きで、毎月油かすを施肥する。庭に植えたクリスマスローズはあまり肥料を与えなくても育つが、多くの花が欲しいなら毎月施肥したほうが良い。もうしばらくするとクリスマスローズが咲きましたという便りを書くことができる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新型コロナをめぐる様々な言説 21.1.10

2021-01-10 20:17:45 | 面白い本はないか
 朝起きると予想していなかった20cmの積雪。しばらく本を読んでいたら、7時過ぎにラインが鳴った。近くの喫茶店にいるから、来ないかとの有難いEさんからのお誘い。朝食前だからちょうど良い。長靴を履いて雪の道を急いだ。Eさんの話では、大垣のR山岳会が涌谷山を計画し、これに参加の予定だったが、この雪で中止になることを想定し、とりあえず集合場所に行ったそうだ。涌谷は中止、かわりに貝月山に行くことになった。しかし、Eさんは中止になるものと考え、山登りの準備はしていないということで今回のお誘いとなった。二人の話題は2月~4月の雪山の計画、充実した内容(昨年随分お世話になったOさんの計画、EさんあるいはOさんがいるからおじさんたち未熟者は難しい山にも挑戦できる)だが、こちらは要介護3の母親と体力に少し自信の無いおじさん、勇気を振り絞って?参加できるところは行こうと決めた。そうするとEさんにライン、貝月山も「白龍の湯」から先は除雪されていないので、ロッジにすら到達できないということで、大野アルプスに変更になったと。揖斐の街の中で20cmなら貝月ゲレンデでは最低でも40cm以上はある。この冬はとにかく雪が降り続く。このため比較的簡単な山でも、普段の倍以上の時間がかかると予想されるし、登山口に到達することも難しい。

 今日の城ヶ峰 揖斐小学校のムクノキの後方 山頂は見えない

 さて、今日は新型コロナのお話し。とにかく情報が多すぎるのか、わからないことが多すぎる。昨年の秋以降にぼちぼちコロナに関する本が出だした。しかし、7月くらいの時点で書かれているので、現在の猖獗を極める状況については必ずしも予想できていない。3.11の大震災と原発事故があったときに、この後の世の中は大きく変わるという言説が溢れた。しかし、ほとんど世の中は変わっていない。ではコロナの後はどうだろうか。しかし、それを問う前にまずこの新型コロナがいつになったら終結するのというのが最大の関心事だろう。専門家が言うには、1人の感染者は2.5人を感染させる(感染したと判明する2日前から感染する)。これを40%すなわち1人(2.5×0.4)にすれば感染拡大は収る。ワクチンを人口の6割に接種するか、何もしないで6割感染させれば、その人たちに抗体ができるので拡大は止まる(しかし、そこまでいくのに多数の死者や重症者が出る)。現段階ではワクチンが出てきているが、治療薬はまだない(まだ数年かかるらしい)。以上のことを少し頭においていただいて、2冊の本を紹介する。

 今日の城台山山頂

 一冊目、岩村充著「ポストコロナの資本主義ー挑戦される国家・企業・通貨」。著者は日銀出身の経済学者だが、この本で興味を惹かれたのは経済以外のことだった。おじさんも含めて誰もが疑問に思ったのが、「PCR検査をなぜ日本はもっとできないか」だろう。特に韓国があのように出来ているのに(韓国人も日本のことがとても気になるように日本人もとてもお隣の状況が気になる。例えば購買力平価で測ると日本の国民一人当たりのGDPはすでに韓国より下位にある)。しかし、ここで著者は問いかける。検査によって患者は何が得られるのか。感染したと判明しても今のところ隔離しか対処の方法はない。重要人物か医療従事者でもない限り、自分以外の人のためにしかならない。日本では「感染が不安だから検査を受けて安心したい、政府はそうした国民の声に応えていない」という世論が形成された。スウェーデンの17歳グレタ・トゥーンベリのように自分が感染したと思ったら自ら隔離を選んだ少女よりもずっと幼いということになる。そして、検査の正しさは70~80%、三日に一度くらい検査しないと確実ではない。そうなると膨大な人々に検査をしなければならなくなる。検査を十分できなかった理由がある。一つは熟練の検査技師の不足(行革の影響でないことを祈りたい)と検査試薬の不足。このことが判明していたなら、大変なことになっていた(試薬=検査の奪い合い)。政府は国民に対し、「検査で陰性と出ても本当は感染しているかもしれないので、安心して仲間と騒いで良い訳でありません。思い当たることがあったら、最大限の自由隔離してください」と言うべきであった。もちろん、治療薬ができたら検査は重要な治療のステップとなる。(日本では入院患者の在院日数が長く、医療費もかさむということで、随分ベッド数を政府は減らした。しかし、今回のような非常事態ではベッドの多かったことが吉と出た)

 ほかに、日本はハンセン病隔離政策のはずべき歴史を持つこと。19世紀自由とは「血と涙」で守るべきものだったが、20世紀サッチャー、レーガンは自由が儲けるためのもの(新自由主義)のインフラとなり、自由を守る心に「劣化」をもたらした。自由の先進国であるはずの欧米諸国で一般化してしまった「外出禁止令」。感染を防止するための「接触追跡システム」の抱える問題(いわゆる中国のようなビッグブラザー、監視社会)を指摘している。

 揖斐のまち

 十分ここまででも長くなってしまった。もう一つ紹介したいのは、様々な分野の専門家により書かれた「コロナ後の世界」。気になるところを抜き出してみよう。まずは免疫学の小野昌弘先生。感染してしまった人にとって最大の問題は重症化だが、これはウィルスの毒性によるものではなく、人間の免疫系の過剰反応によるものであることが明らかとなった。この暴走を防ぐ方法は現時点では限られている。二番目は有名な精神医学者の斉藤環先生。(三密を避けることに関して)親密さの抑圧は恋愛の不可能性にもつながる。三密を禁じられ、社交距離を測定される環境下では、新しい恋愛の実践は実質的に不可能だ。性愛においても、われわれはかつてないほど高度な禁欲を(自ら進んで)強いられている。(これで少子化に拍車がかかるかもしれない)三番目はおじさんが好きな政治哲学者宇野重規先生。(コロナ中そして後は特に)つねに一定のリスクを意識して、日々を過ごし、行動していかなければならないことは、人々に大きな心理的ストレスを与える。この間も、相互に過剰なまでの自粛を求める「自粛警察」の動きが各地で伝えられたが、これもそのようなストレスによって加速された側面が強い。自分がこれだけ自由を奪われ、それに耐えているにもかかわらず、好きなように行動し、ルールを守らない人間がいるのは許せない(この自主警察こそ日本が法による明確な規制がなくても規制ができてしまう国であうことを指摘することができる)。責任の所在があいまいなのも、日本政治の特徴だ。専門家会議のメンバーの尽力に対し、賞賛の声が集まる一方で、彼らの発言に対し、批判の声が高まったのも事実だ。専門家は、己の知見と学問的信念に基づき発言し、提言するのが当然である。これに対し、そのうちどれを政策として実行するかは政治家の任務である。政治的責任を取るのはそれを採用した政治家であって、提言した専門家(学問的責任は問われる)ではない。都合のいいときだけ政策の正当化のために専門家が動員され、政治家は自らの責任を曖昧にする。

 四番目は科学技術社会論の神里達博先生。リスクと自由と責任は同時に降りてくる。これこそが近代の本質と言って良いほどだ。しかし、この国には、結局のところ、西洋近代的な意味での責任者=権力者がいない。だから自由もない。あるのは津々浦々に至るまでの、持ち場、持ち場で「役割を果たす」無数の人々である。ミクロにはうまくいくこともあるが、その結果が全体としてどういう影響を及ぼすのか、きちんと考えて計画している人は結局どこにもいない。第五番目は社会学の柴田悠先生。新型ウィルスや新型細菌の「自然物」だけではなく、人間が作ったAI(ディープラーニング以降のAIはなぜそうなるのかがわからないというブラックボックスを持っている)も不可知性という脅威を人間に与える可能性がある。第六番目は社会学の大澤真幸先生。新しいウィルスは、現在の新型コロナウィルスで終わるわけではない。現代社会は、新しいウィルスに対して、二つの意味で脆弱。第一は、人間が住む世界が野生動物の世界に接近し、両者の間の緩衝地帯が著しく小さくなったこと。第二は、人間の移動が頻繁になり、ウィルスの感染の速度が著しく大きいこと。現在のコロナ禍は、人新世(人類の活動が地球の生態系に与える影響力が著しく大きくなった時代)に固有な現象の一部と解すべきだ。

 コロナと,格闘している医療従事者に最大限の敬意と感謝をさしあげたい。政府はとにかく医療崩壊とならないように努力して欲しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新春初登り・百々ヶ峰 21.1.9

2021-01-09 17:00:39 | 山登り
 今日は月一健康山歩クラブの一月例会であるが、コロナの感染者の急増を考慮し、個人山行で百々ヶ峰に登ることになった。現地集合なので、基本的に自動車の中での「密」は避けうる。後は野外だから適当な距離を保てば問題はない。とうことで会員15人が集まった。百々ヶ峰(417.9m、岐阜市の最高峰)には久しく登っていない。記録によると最後に登ったのが、ちょうど7年前、同じくこの月一の1月例会で登った。現地9時集合だったが、たまにはナビを使ってみようと思って、ナビの指示するとおりに車を走らせた。ところが、岐阜北署付近で早めに左折してからおかしくなってしまい、目的地を誤って岐阜大学付属病院としたからか再び引き返すことになってしまった。途中で気がついて、何回も通っている畜産公園経由で三田洞四季の森に10分遅れで到着。丁度出発するところだったので、待ってもらったYさんと少し遅れて出発。

 いつものように東海自然歩道のとおる尾根に登る。やがて東屋が現れる。ここで元会代表のHさん、急用のできたNさんと分かれる。一旦下り、そこからは階段の連続

 東屋 9:36

 左に霊仙山 右に伊吹山

 階段が続く 列が乱れてます

 少し緩やかに

そして権現山に到着

 権現山到着 10:21 

 権現山の標識

 峠で休憩

 峠からジグザクの道、踏み固められて今朝の冷え込みで凍結したところもあった

 山頂は大賑わい 大垣山協で何回かご一緒したOさんに遭遇 10:49

そこから反射板のある西峰まで移動し、ここで昼食 11:30~12:10

 金華山を望む 幸い無風で日も照っていたのでゆっくりと昼食をとった

帰り道に待っていたのは凍結した道路、何人かがスッテンコロリン。滑り止めを着けたIさんはスイスイ。なかなかスリリングな下りとなった。

 おじさんも何度か滑りそうになった 冬靴は底が硬いので滑りやすいと少し弁解

四季の森に無事到着13:05。今日の揖斐の最低気温はマイナス5度、途中の日陰は凍結、特に四季の森の入口付近は100m位が凍結していた。この時期、低山でも6本アイゼンか滑り止めを用意した方が良いと認識した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

教育という難題 21.1.6

2021-01-06 19:59:42 | 面白い本はないか
 今日は教育について書きたいので、少しおじさん自身の教育歴について話をする。もちろんこれはこの後に続けるテーマの導入として適当かなと思うためであり、決して自慢するとかでないことを述べておく。おじさんの両親は大正生まれであり、その学歴は高等小学校卒(当時父親の学歴を書く書類が結構あったように思うが正直言っていやだった。)であった(この時代としては庶民の普通の教育歴)。父親が戦争から帰ってきて産まれたのがおじさんで、小学校低学年は劣等生、中学年は普通、高学年はやや良、中学校は少し良、そして進学校に入り、名古屋の大学に入学した。当時大学まで進学する者はおよそ20%位であったと思う。では両親が教育熱心で家には本があった(教育環境、このほかに美術館とか音楽会に行っていたとか習い事をしていたかということも含まれる)かというと全然そうではない。家庭の所得から言うと結構無理していたかもしれないので、反対しなかっただけでも非常にラッキーだったと今更ながら思う次第である。大学卒同士で結婚し、生まれた子どもたちは当然のように大学卒となった。

 ここからが本題である。

 松岡亮二著「教育格差」から引用
実はこの問題全部で7個あり、恥ずかしながらおじさんの正答は1個だけ(質問4だけ、本当に情けない!)。有名な著者の書く教育論とか教育社会学の本を沢山読んできたのにこのていたらく。さあ皆さんはどうだろうか?

著者が最後の方にまとめてくれているので、それをそっくり引用する。( )は拙いおじさんの説明
 ①いつの時代にも教育格差・子どもの貧困がある(最近になって教育格差・子どもの貧困が酷くなったわけではない)
 ②教育意識の地域格差は2000年代以降拡大(要するに経済・文化等における地域格差が大きくなったことにより大学への進学意向に違いが出ている)
 ③住民大卒割合の地域格差が戦後一貫して緩やかに拡大
 ④格差は未就学時点で存在。親学歴によって子どもは異なる時間を過ごす(自然にまかせるかあるいは明確な意図を持って育てるかによる)
 ⑤「多様な(背景の)子が通う公立校」は小学校であっても幻想に過ぎない(同じような教育環境を持つ子どもが多くなる、出来る子が多い学と出来ない子が多い学校)
 ⑥中学校入学時点で経験の蓄積に大きな格差があり、中学校教育への適応度と関連している
 ⑦(略)
 ⑧高校受験によって、小中学校よりも大きな「生まれ」の学校間格差が生じる
 ⑨他国と比較すると日本の児童・生徒のPISA平均値は高い。しかし、うまれによる学力格差は平均並みに存在する。
 ⑩他国と比べて日本の高校教育制度は特異。制度によって底辺校が作られる。底辺校は家庭の教育資源が乏しく、教員の期待も低い
以下、最低限行って欲しいこととして
 ⑪現状把握なき「改革」のやりっ放しを止める 例として学校群、ゆとり教育(いずれも高学力の者を私学へ向かわせただけに終わる)
 ⑫分析可能なデータの継続的収集・効果測定による改善
 ⑬教員免許取得のための必修科目として「教育格差」を取り上げる(現状では漠然とした格差を認識できたとしてもきちんとした認識・対応はできない) 

 本文を読まずにまとめだけを見ても理解は難しいであろう。かなり端折って要約すれば、人間は生まれた瞬間からその両親あるいは育つ家庭の影響を受ける。教育環境の良い家庭の子どもは読み聞かせや習い事をさせたり、塾に通わせたりする。しかし、こうした子どもたちと家庭が貧しい、両親が仕事で忙しいなどにより教育環境に恵まれない子どもたちとの間では、既に小学校入学前に学力格差はできてしまう。その格差は学校において解消できるかというと、残念ながらこれはできない(日本の教育は各子どもに対する公平性という点で優れているものの、元々違うスタートラインに立つ子どもたちすべてを引き上げることまではできない)。また、比較的教育環境が良い子どもたちが多く住んでいる地域(親の大卒者の割合が高い地区)とそうでない地域とでは大きな格差が生まれる。その学力格差を決定的にするのが、高校受験であり、底辺校の子どもたちは学ぶことさえあきらめてしまう。世界中見回しても教育格差を解消した社会は存在しない(大きいか小さいかはある、日本は著者が言うところの「凡庸な格差」)。

 私たちはこうした社会を続けていくことが良いのか考えてみる必要がある。家庭に差があるのだから、あるいは個人の能力に差があるのだから仕方ないと考えるのか(こう考える人が結構多いかもしれないが、それを個人責任だとしているからなのかもしれない。制度を改善すればできるのだと考えることもできる。アメリカのノーベル経済学者ジョセフ・スティグリッツは様々な問題は制度を改善すればできると主張している。)一人一人の可能性を信じる著者が考えるのは、もちろんそうではない。15歳の高校受験で「身の程」を知るような社会ではなく、学び直しも含めて、全ての人が常に自分の可能性に挑戦できることが「常識」になり、大半の人々が現在の大学教育レベルの学識を持つ日が来ることを夢見るのは世迷い言だろうかと熱く語る。特に少子化で子どもの数は少なくなる。この子どもたちの出来るだけ多くがそれぞれ能力を発揮してくれることがなにより大事となっている。落ちこぼれをそのままにしておく余裕は日本にはないはずだ。

 著者が「おわりに」で述べていることが学者としての良心を現している気がする。いわく、私は教育格差を高SES家庭(いわゆる教育熱心な家庭)出身の学生(早稲田の生徒)に教えることで、「生まれ」の世代間再生産を強化している。この本に手を伸ばす人たちも大卒者が多いだろう。格差の現実を知って、自分の家族や身近な人たちに便益をもたらすかもしれない。住居を決めるとき、学区の大卒者割合を調べて選択するようになれば社会経済的な分断を後押ししていることとなる。私は教育格差を発信することで、格差の再生産を強化していることになる。私の両手も他者の血で赤く染まっている。

クイズの答え 質問1・小学校就学前、質問2・1年生から、質問3・変わらない、質問4・日本

 この本のかなりの部分が教育現場ではいわば常識となっていることを丁寧に少ないデータ(日本は教育や労働などで信頼に足る調査が行われていない、あたかも不都合な真実は調べもしないし、発表もしない)を駆使して裏付けているので、読むのに正直言って退屈で我慢を強いられた。しかし、後半では著者の熱い思いに触れ、本当に読んで良かったと思った。この本を知ったのは、少しだけ紹介した平田オリザ著「22世紀を見る君たちへ」だった。こちらの補充をすべきだったのだが、「教育格差」に方が先に来てしまった。次回はこの本をもう少し詳しく紹介する。

 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする