先日、文部科学省は教員免許更新制を2023年度限りで廃止することを発表した。この免許更新制は安部第一次政権時に教育再生会議が提案し、2009年から導入された。それを10年と少しで廃止するのである。そういえば、英語のセンター試験に民間試験を導入しようとしたが、反対で断念したし、少し前には「ゆとり教育」を導入したものの、PISAの点数が下がったからとかで、授業数を以前の状態に少し戻した。なぜこのように「教育」について、改革が叫ばれたりするのであろうか。教育再生会議では経済界や政治家、御用学者(最近の教育関係の審議会に肝腎の教育学者がいないなどということも起こっている)などから「改革」要望のオンパレードで、ときには経済が低迷しているのは、教育が悪いとまで主張する。こうした傾向に対し、もっと冷静になって、日本の教育制度の優れたところを発見し、その中で真に改める必要あることを各種のデータを参照しながら進めるべきというのが、今回紹介する小松光/ジェルミー・ラプリー「日本の教育はダメじゃないー国際比較データで問い直す」(ちくま新書)。
コバキボウシ 毒があるのでペットを近づけないようにと注意書きがあった
この本の内容に進む前に、今年1月6日のブログ「教育という難題」に少し触れておく。そこでは、人間は生まれた瞬間からその両親あるいは育つ家庭の影響を受ける。小学校入学前に学力の格差はできてしまい、この格差を学校において解消することは難しい。地域によっても大きな格差ができてしまう。その格差を決定的にしてしまうのが高校受験であり、底辺校の子どもたちは学ぶことさえあきらめてしまう。しかし、この著者が述べているように、世界と比べると日本の格差はいまだ幸いにも「凡庸な格差」に留まっているということになる。しかし、日本において経済格差は広がりつつあるので、この凡庸な格差が拡大し、教育格差による経済格差が悪循環のように広がる可能性も大である。
「日本の教育はダメじゃない」は徹底的に国際的なデータを活用し、日本の教育の現状を描き出す。その現状は、私たちが考えているほど悲観的なものないことがわかる。例えば日本の教育は「創造性を育まない」「いじめが蔓延している」「昔に比べて学力が低下している」などと考えている国民が多いが、データから見るとそれらの印象は間違っていることがわかる。データとして活用されているのが、PISA(以下「ピザ」)とTIMSS(以下「ティムズ})、前者には日本は1964年から参加しており、学校で習った基礎的な内容を新しい目的に対し、創造的に使えるか判定する調査である。これに対し後者は国際数学・理科教育動向調査で学校で習った内容をきちんと覚えていて使えるかを問うものである。このデータにより様々な通説が否定される。
通説1 知識がない→ティムズ(2015年)日本・数学5位、理科2位 日本や東アジアの点数が高い
通説2 創造力(考える力、創造性、応用力)がない→ピザ(2018年)数学6位、理科5位、読解15位 東アジアの国々のほとんどは読解の成績が数学、理科ほど良くない(文化的なもの?)
通説3 問題解決ができない→創造的問題解決・ピザ(2012年)日本3位 日本は班活動など協同的問題解決が得意
通説4 学力格差が大きい→基本的な事項を理解している子どもの割合6位、社会階層の成績への影響9位で10.1%(OECD平均12.1%) ほどほどに不公平
通説5 大人の学力低い→日本の大学生は他国の大学生よりも勉強しないけれど、大人になったときの能力は世界のトップレベル(日本の生産性が低いことを指摘するアトキンソンも日本の大人の能力が高いことに言及している、経営者
の能力が劣っていると指摘)
通説6 昔と比べて学力が低下している→日本の成績はこの18年間で上がったり下がったりしており、一貫して下がっているという傾向は見られない、ゆとり教育で低下したという根拠はない
結論 日本は学力が高い
ヤブラン
では子どもたちの生活の具合はどうなっているのか。
通説7 日本の子どもたちは勉強のしすぎ→勉強時間は少なく、その少なさは東アジアの国の中で群を抜く ここで疑問=勉強しないのになぜ学力が高いのかーが生じる
通説8 高い学力は塾通いのおかげ→通塾率と学力は結びつかない
通説9 日本の授業は古くさい→アメリカは日本に学んでいる、日本では学力を決める要素として才能よりも努力を重視している(アメリカは才能を重視)、先生の教え方も別解について考えさせたり、発見・思考型の問題を考える授業が多い
通説10 勉強に興味がない→興味と学力は両立しない、子どもたちの興味に合わせた授業をしようとすると、簡単なことしか教えれない、学びには強制力が必要となる
通説11 学力が高いのに自分に自信が持てない→東アジア諸国の子どもたちも同じ傾向にある、自分に批判的な目を向け続けることが、自分を高めることに貢献する。日本人は自己を変化するものだと考えているが、アメリカ人、カナダ人は自己を固定的なものと考える傾向にある
通説12 学校が楽しくない→ピザ(2012年)39カ国中12位、ピザ(2015年)自らを学校の一員と考えるか日本82%で39カ国中5位
通説13 いじめ、不登校、自殺が多い→テイムズ2015年(中学2年生)いじめられたことのない子どもの割合日本80%で38カ国中5位、自殺29カ国中低い方から16位(丁度真ん中)
ヤブラン 斑入り
以上の結果に対する著者たちの提案は、①現実を見ない教育政策を止める、②未来に対する不安は消えないので、ほどほどの不安を持つ→メディアはいつも批判的(売るために)、保護者は子どもの通っている学校に満足(特に先生に対し)しているが、教育を支える環境には満足していない、日本の若者に対して「学習能力が低く、精神的にも弱い」というレッテル貼りは大人たちを楽にするだけで無意味、③日本の教育のレベルの高さに気づこう→日本の先生方の数理的能力、読解力は高い、問題は抜群に忙しく、労働時間は長い、アメリカなどで注目される日本の先生方の半ば自主的取り組み「授業研究」を再評価すべき。
冒頭の教員免許更新制度に導入により、教員はますます忙しくなった(事務的な処理に追われる)と言われる。今回の廃止は、かねてからの教員の過度な忙しさ(それが教員のなり手が少なくなっていることにつながっている)を文科省も是正しなければと思ってのことだと思う。良く言われるように「ゆとり教育」は教員にこそ必要な政策なのだ。かつて、イギリスのブレア首相は英国における重要な課題は、一に教育、二に教育、三に教育と言った。しかし、その後に導入された新自由主義的な教育政策はかならずしも良い結果を出さなかった。教育政策はその効果が現れるのには時間がかかるし、気づいた頃にはもう遅いのである。やはり、教育は難題なのだ。
コバキボウシ 毒があるのでペットを近づけないようにと注意書きがあった
この本の内容に進む前に、今年1月6日のブログ「教育という難題」に少し触れておく。そこでは、人間は生まれた瞬間からその両親あるいは育つ家庭の影響を受ける。小学校入学前に学力の格差はできてしまい、この格差を学校において解消することは難しい。地域によっても大きな格差ができてしまう。その格差を決定的にしてしまうのが高校受験であり、底辺校の子どもたちは学ぶことさえあきらめてしまう。しかし、この著者が述べているように、世界と比べると日本の格差はいまだ幸いにも「凡庸な格差」に留まっているということになる。しかし、日本において経済格差は広がりつつあるので、この凡庸な格差が拡大し、教育格差による経済格差が悪循環のように広がる可能性も大である。
「日本の教育はダメじゃない」は徹底的に国際的なデータを活用し、日本の教育の現状を描き出す。その現状は、私たちが考えているほど悲観的なものないことがわかる。例えば日本の教育は「創造性を育まない」「いじめが蔓延している」「昔に比べて学力が低下している」などと考えている国民が多いが、データから見るとそれらの印象は間違っていることがわかる。データとして活用されているのが、PISA(以下「ピザ」)とTIMSS(以下「ティムズ})、前者には日本は1964年から参加しており、学校で習った基礎的な内容を新しい目的に対し、創造的に使えるか判定する調査である。これに対し後者は国際数学・理科教育動向調査で学校で習った内容をきちんと覚えていて使えるかを問うものである。このデータにより様々な通説が否定される。
通説1 知識がない→ティムズ(2015年)日本・数学5位、理科2位 日本や東アジアの点数が高い
通説2 創造力(考える力、創造性、応用力)がない→ピザ(2018年)数学6位、理科5位、読解15位 東アジアの国々のほとんどは読解の成績が数学、理科ほど良くない(文化的なもの?)
通説3 問題解決ができない→創造的問題解決・ピザ(2012年)日本3位 日本は班活動など協同的問題解決が得意
通説4 学力格差が大きい→基本的な事項を理解している子どもの割合6位、社会階層の成績への影響9位で10.1%(OECD平均12.1%) ほどほどに不公平
通説5 大人の学力低い→日本の大学生は他国の大学生よりも勉強しないけれど、大人になったときの能力は世界のトップレベル(日本の生産性が低いことを指摘するアトキンソンも日本の大人の能力が高いことに言及している、経営者
の能力が劣っていると指摘)
通説6 昔と比べて学力が低下している→日本の成績はこの18年間で上がったり下がったりしており、一貫して下がっているという傾向は見られない、ゆとり教育で低下したという根拠はない
結論 日本は学力が高い
ヤブラン
では子どもたちの生活の具合はどうなっているのか。
通説7 日本の子どもたちは勉強のしすぎ→勉強時間は少なく、その少なさは東アジアの国の中で群を抜く ここで疑問=勉強しないのになぜ学力が高いのかーが生じる
通説8 高い学力は塾通いのおかげ→通塾率と学力は結びつかない
通説9 日本の授業は古くさい→アメリカは日本に学んでいる、日本では学力を決める要素として才能よりも努力を重視している(アメリカは才能を重視)、先生の教え方も別解について考えさせたり、発見・思考型の問題を考える授業が多い
通説10 勉強に興味がない→興味と学力は両立しない、子どもたちの興味に合わせた授業をしようとすると、簡単なことしか教えれない、学びには強制力が必要となる
通説11 学力が高いのに自分に自信が持てない→東アジア諸国の子どもたちも同じ傾向にある、自分に批判的な目を向け続けることが、自分を高めることに貢献する。日本人は自己を変化するものだと考えているが、アメリカ人、カナダ人は自己を固定的なものと考える傾向にある
通説12 学校が楽しくない→ピザ(2012年)39カ国中12位、ピザ(2015年)自らを学校の一員と考えるか日本82%で39カ国中5位
通説13 いじめ、不登校、自殺が多い→テイムズ2015年(中学2年生)いじめられたことのない子どもの割合日本80%で38カ国中5位、自殺29カ国中低い方から16位(丁度真ん中)
ヤブラン 斑入り
以上の結果に対する著者たちの提案は、①現実を見ない教育政策を止める、②未来に対する不安は消えないので、ほどほどの不安を持つ→メディアはいつも批判的(売るために)、保護者は子どもの通っている学校に満足(特に先生に対し)しているが、教育を支える環境には満足していない、日本の若者に対して「学習能力が低く、精神的にも弱い」というレッテル貼りは大人たちを楽にするだけで無意味、③日本の教育のレベルの高さに気づこう→日本の先生方の数理的能力、読解力は高い、問題は抜群に忙しく、労働時間は長い、アメリカなどで注目される日本の先生方の半ば自主的取り組み「授業研究」を再評価すべき。
冒頭の教員免許更新制度に導入により、教員はますます忙しくなった(事務的な処理に追われる)と言われる。今回の廃止は、かねてからの教員の過度な忙しさ(それが教員のなり手が少なくなっていることにつながっている)を文科省も是正しなければと思ってのことだと思う。良く言われるように「ゆとり教育」は教員にこそ必要な政策なのだ。かつて、イギリスのブレア首相は英国における重要な課題は、一に教育、二に教育、三に教育と言った。しかし、その後に導入された新自由主義的な教育政策はかならずしも良い結果を出さなかった。教育政策はその効果が現れるのには時間がかかるし、気づいた頃にはもう遅いのである。やはり、教育は難題なのだ。