醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   18号   聖海   

2014-12-02 10:18:11 | 随筆・小説
  
 もの書きて扇引さく余波(なごり)哉   芭蕉  

 「おくのほそ道」(天龍寺・永平寺)「丸岡天竜寺の長老、古き因
(ちなみ)あれば尋ぬ。又、金沢の北枝といふもの、かりそめに見送
りて此処までしたひ来る。所々の風景過(すぐ)さず思ひつヾけて、
折節あはれなる作意など聞ゆ。今既(いますでに)別(わかれ)に望
みて」と書いて、「もの書きて扇引さく余波(なごり)哉」とある。
 金沢の俳諧師北枝が福井・丸岡の天龍寺まで私を慕ってついてきて
くれた。金沢から福井・天龍寺までの風景を見過ごすことなく心に刻
み、変わり行く風景にもののあわれを覚えた。そのたびごとに俳諧の
発句が湧きあがってきた。今、北枝さんと別れるにあたって名残惜し
い。その芭蕉の気持ちを表現したが句が「もの書きて扇引さく余波
(なごり)哉」である。
 この句は北枝との別れの挨拶句のようだ。この句を萩原恭男は「不
要の扇にものを書いて破り捨てようとするが、さすがに名残惜しくて
できかねることだ。あなたとの別れも同じことです」と鑑賞している。
この解釈はおかしい。芭蕉は「扇引さく余波(なごり)哉」と表現し
ている。どこにも「名残惜しくてできかねる」とは書いていない。素
直に読めば、いらなくなった扇にものを書いて引き裂くような名残が
あなたとの別れにはあります。これが素直な解釈ではないだろうか。
 問題はものを書いて扇引き裂く扇との別れの余波(なごり)とはど
のようなことをいうのかということだ。いらなくなった扇は旅の邪魔
になるから引き裂く。夏が去り、秋になると涼を求める扇は邪魔にな
る。扇を「引きさく」と書き、捨てるとは書いていない。
 この句の季語は「扇引きさく」で秋の句なのであろう。歳時記を繙
くと秋扇(しゅうせん)、秋の扇、扇置く、捨扇等の季語がある。時
に適せず役にたたなくなったものをたとえる。今では使われることが
まれになった扇が捨ておかれたままになっている。寵愛を失った女性
を古語では意味したようだ。その侘しいたたずまいがこの季語の本意
のようだ。
 「扇引きさく」という言葉には侘しいもの悲しさがある。使うこと
がまれなった扇、役にたたなくなった扇である。あんなに耐え難かっ
た夏に涼をもたらしてくれた扇を手放す一抹の寂しさがある。「もの
書きて」とは夏に涼をもたらしてくれた扇に感謝する言葉を書き添え
たのかもしれない。
 当時貴重品であった紙を無造作に捨てることはできなかった。扇は
壊し、紙として再利用した。暑い夏に涼をもたらしてくれた扇に別れ
難い余波(なごり)があった。このようにも解釈できるのではと思う。
 元禄時代、芭蕉のような人々にとって扇子はきっと貴重品であった
に違いない。その貴重な扇子を引裂くほどの哀しみが北枝との別れに
はあった。実際、扇子を引裂くことはしなかったのではないか。これ
は哀しみを表現する比喩なのだ。
 当時の別れは今生の別れなのだ。打ち解けた俳句の世界を共有した
北枝との別れはもう二度と生きて会うことはない別れなのだ。現代に
あっては死に別れに匹敵する別れなのだ。それほど芭蕉と北枝とは打
ち解けあったのだ。この芭蕉の哀しみに対して北枝は微笑んでこの霧
の中にお別れして元気よく出発していこう。このような挨拶を交わし
た。それがこの句なのだ。
 また次のような解釈もある。久富哲雄は「夏の間使いなれた扇も、
秋となって捨てる時節になったが、あなたともいよいよ別れる時が来
た。離別の形見に酬和の吟を扇に書き付けて二つに引き裂き、それぞ
れに分かち持って、名残りを惜しむことであるよ」。芭蕉と北枝とは
互いに詩文を書き合い、分かち持って別れを惜しんだと鑑賞している。
どのように鑑賞しようと鑑賞者の勝手だ。それでいいと思う。私も勝
手に鑑賞していいのだ。ただ久富のような解釈が生ずる理由について
述べてみたい。
 芭蕉俳句集を開くと「もの書きて扇子へぎ分(わけ)る別れ哉」と
(卯辰集)ある。扇子をへぎ分るとは二枚の紙がのり合せられて作ら
れているものを引きはがすことである。だから、それぞれの紙に別れ
の言葉を書き、交換し、分かち持って別れを惜しんだという解釈が出
てくる。久富は卯辰集ある句を聖海することなく、上記のような鑑賞
をしているから納得しがたいと感じられる方のでてきるのではないか
と老婆心ながら思う。
 発案は卯辰集にある「もの書きて扇子へぎ分(わけ)る別れ哉」の
ようだ。芭蕉はこの発案の句を改定し「おくのほそ道」ある句を決定
稿にした。