西村賢太 「苦役列車」を読む 聖海
芥川賞受賞会見で西村は次のようなことを語った。
「自分よりだめな人がいるんだなと思ってもらえたら、まあおこがましいけど、
ちょっとでも救われた思いになってくれたらうれしいですね、書いた甲斐がある
というか。それで僕が社会にいる資格があるのかなと、首の皮一枚、細い糸一本
で社会とつながっていられるかな、と本当に思いますね」
こう西村は述べ、底辺で働く人との連帯を求めた。一方、現在の日本社会は西
村が書くような小説を求めている。この求めに応じて西村は「苦役列車」を書い
た。西村は収入を得るため、生活のため、書きたいから書いたに違いない。西村
は現在の日本社会からの要請を自覚して書いたわけではないだろう。しかし結果
的に西村の小説は現在の日本社会からの要請にこたえたことになった。西村が書
いた小説「苦役列車」は芥川賞を受賞した。この芥川賞を受賞したということは、
社会の要請に西村が答えたと認められたということを意味している。西村は「書
いた甲斐が」あったのだ。
高校進学率が九十パーセントを超える時代に中学卒の作家が芥川賞を受賞した。
社会的な事件である。NHKのニュースでも中学卒という言葉を添えて報じられ
た。自分よりだめな人がいることによって心を癒してくれる人がいたら、社会に
いる資格があるのかな、と西村ははっきりと小説を書いたことによって社会に貢
献できたら、と心のうちを披瀝している。
年収二百万円以下の人々がおよそ一千万人、生活保護以下の収入で生活してい
る貧困者がいる。ワーキングプアと呼ばれる人々である。毎日、真面目に仕事を
しても貧しさから抜け出せない人々である。偶然居酒屋で隣に座った人がいう。
毎日、女房と二人、朝から晩まで働いても生活できない。だから店を閉めたんだ。
本当に売れなくなった。酒屋が良かったのは八十年代までだった。九十年代に入
るとビールの安売りが始まる。酒販売のディスカウント大型店が続々出店してく
る。小さな酒販店は淘汰されていく。酒販売の営業権が高く売れるうちに転業す
ればよかった。働き盛り、五十前後の男の愚痴を肴に酒を酌んだ。このような男
の心を癒す小説がほしい。真面目に働いても生活が苦しい人々を癒し、不満の爆
発を抑える小説がほしい。こうした社会的要請が徐々に醸されていく。この社会
的要請にこたえて登場してきたのが西村賢太の小説であった。毎日心を傷つけら
れて生きている人々を癒すのは笑いである。「苦役列車」は面白い。この小説は
最初、雑誌「新潮」に掲載された。テレビのコメンテーターとして出てくる元週
刊新潮の編集長であった中瀬ゆかりは西村の小説をすべて読んでいると言う。西
村の小説は面白いと真っ赤な口をほころばせ、満面の笑みを浮かべて話す。小説
家は学歴じゃありません、と隣に座っていた小説家岩井志麻子は発言し、「才能
です」という。きっと西村は小説家としての才能があるのだろう。
作者は「苦役列者」を次ぎのように書き出し始める。
「曩時(のうじ)北町貫多の一日は、目が覚めるとまず廊下の突き当たりにある、
年百年中糞臭い共同後架へと立ってゆくことから始まるのだった。しかし、パン
パンに朝勃ちした硬い竿に指で無理矢理角度をつけ、腰を引いて便器に大量の尿
を放ったのちには、そのまま傍らの流し台で思い切りよく顔でも洗ってしまえば
よいものを、彼はそこを素通りして自室に戻ると、敷布団代わりのタオルケット
の上に再び身を倒して腹這いとなる」。
「曩(のう)時(じ)」、この漢字熟語を私は読めなかった。初めて見る熟語だ。
この言葉を知らない。私が読んだハードカバーの本にはルビがふっていなかった。
調べるのも面倒だったのでそのまま読み進んだ。のっけから読めない漢字にパン
チをくらった。難しい漢字を知っているんだなとビックリした。「年百年中」、
この熟語も読めない。「年(ねん)がら年中(ねんじゅう)」と勝手に読み進んだ。
今でも正確には何と読むのか解らない。「後架」、この熟語は「こうか」。読
める。意味も知っていた。便所と書かず、「後架」と書く理由が解らない。私
だったら「便所」と書く。
この文章を書くため「曩時」を調べた。「曩」は背嚢(はいのう)の曩の字に
似ているなと思い「曩(のう)時(じ)」と当たりをつけて広辞苑を開いた。広辞
苑には「曩時」を「さきの時」、「以前」と説明していた。私だったら「その
ころ北町貫多の一日は、…」と書きはじめるだろう。なぜこのような漢字を使
うのか、その理由を読者は想像する。中卒者の劣等意識がこのような漢字を書
かせるのかと余計な想像が働く。「年百年中」、簡明に読めるようになぜ書か
ないのか。「朝勃ち」。この言葉は広辞苑には載っていない。俗語として広く
知られている。このような俗語を使用するところにこの小説の特徴がある。
文芸春秋三月号、受賞者インタビューを読むと藤澤造という大正から昭和
初期の私小説家に西村は私淑しているという。この作家の文に似せて小説を書
いているため西村はこのように今ではほとんど使われない言葉、漢字熟語を用
いるのかなと想像する。だから初めて読み始めると漢字熟語に違和感を覚える
文章に出くわす。この違和感が苦にならなくなると面白い。この面白さは、ど
うだいい文章だろうがという気持ちになって書いている作者に対して、読者は
ピンときませんよというような微笑ましい笑いである。
「藤澤造」という私小説家を初めて知った。今まで本屋で見たためしがな
い。聞いたこともない。西村がNHKBSの週刊ブックレビューで話すのを聞
いて初めて知った。その後、川西政明著「新・日本文壇史・第四巻・プロレタ
リア文学の人々」を見た。その書の第二十一章は「忘れられた作家たち」であ
る。その中で藤澤造が紹介されている。藤澤造が一般的にプロレタリア文
学の作家として認められているのかどうか解らないが、藤澤造についての川
西の説明を読んで、この作家をプロレタリア文学の作家とすることに違和感を
覚えた。貧苦と病苦を書いた私小説作家のようだ。貧苦を書けばプロレタリア
文学といえるのかどうか、疑問である。
「苦役列車」の最後、友を失い、日雇いの仕事場からさえも出入りを禁止さ
れた貫多は、肌身離さず藤澤造の小説をポケットに入れ、読んでは心を癒し
た。藤澤造の小説が西村の心に沁みる。西村は小説「暗渠の宿」の中で藤澤
造の文体に似せて書いていると吐露している。「年百年中」という言葉を藤
澤造が使っているのを知り、真似て書いているのだろう。西村はこの熟語「年
百年中」が気に入って、どうだと言っているように感じる。「便所」と書かず
に「後架」と書く。こう書くことによって大正末期から昭和初期の文体に新し
い命を吹き込んだと作者は考えているのだろう。この試みが成功しているのか
どうかは、これからの読者が決めることであろう。この文体に慣れた私にとっ
ては新鮮な面白さがあった。
「しかし、パンパンに朝勃ちした硬い竿に指で無理矢理角度をつけ、腰を引
いて便器に大量の尿を放ったのちには、そのまま傍らの流し台で思い切りよく
顔でも洗ってしまえばよいものを、彼はそこを素通りして自室に戻ると、敷布
団代わりのタオルケットの上に再び身を倒して腹這いとなる。」と段落をかえ
て「しかし」と書きついでいく。この「しかし」は「そして」という言葉に限
りなく近い。一般的に言えば、接続詞をこのように用いることは文章の力を弱
める。「…無理矢理角度をつけ、」「…放ったのちには、」「…よいものを、」
「…自室に戻ると、」「…腹這いとなる。」一段落が一文になっている。実に
冗漫な長い文だ。この冗漫な長い文章に貫多の怠惰な意識の流れがある。この
意識の流れに文学的新鮮さがあるのかもしれない。一方、怠惰な若者に対する
蔑みの気持ちを読者に起こさせる。この若者の意識、怠惰で無気力なのに旺盛
な性欲、勃起した体に心の始末が戸惑っている。この北町貫多の意識の流れが
面白い。この面白さの秘密は西村が徹底的に自分を対象化しているところにあ
る。「そのまま傍らの流し台で思い切りよく顔でも洗ってしまえばよいものを」
と自分を決して弁解しない。自分を突き放す。読者は北町貫多の意識の流れを
なぞっていく。読者が主人公となって読み進んでいくわけではない。読者が主
人公に共感することはあっても、主人公にはならない。ここにこの小説の構造
の仕組みがある。貫多を馬鹿だな、うじうじした男だな、と笑うことができる。
自分よりだめな人だな、と思うことができる。ここにこの小説の面白さがある。
同じような境遇に生きる若者にとって共感すると同時に突き放すことができ笑
うことができる。この笑いの面白さが読者を飽きさせないで最後まで読ませる
力なのだろう。
アパート代を何ヶ月も溜め、土下座して謝り、最後は踏み倒す。土下座し、
謝罪しても受け入れられず、アパートを追い出される。それでもアパート代の
高い東京下町にこだわる。こんなことを繰り返す最底辺に生きる若者の生活に
読者は同情することなく、笑ってしまう。この若者の風俗に面白さがある。小
説「苦役列車」はそれだけのものだという解釈があるが、その解釈に私は不満
である。この小説は現代日本の底辺社会を表現している。社会の矛盾は最底辺
に生きる人々に赤裸々にあらわれる。アパート代を踏み倒す若者は踏み倒すこ
となしには生きていけないのだ。アパート代を踏み倒すことは確かに悪いこと
だ。この悪いことをしなければ最底辺に生きる若者は生きていけない。
このように悪を強制されなければ生きていけない社会を表現することは現代
日本社会に対する厳しい批判なのだ。この底辺社会そのもの、そこに生きる貫
多の生活自体が現代日本社会に対する批判なのだ。
石原慎太郎は選評で次のように述べている。
「この作者の(どうせ俺は……)といった開き直りは、手先の器用さを超えた人
間のあるジェニュインなるものを感じさせてくれる。超底辺の若者の風俗とい
えばそれきりだが、それにまみえきった人間の存在は奇妙な光を感じさせる。
中略 この豊饒な甘えた時代にあって、彼(西村)の反逆的な一種のピカレスク
は極めて新鮮である」。
石原慎太郎が「選評」で言っていることは、超底辺に生きる若者の風俗、そ
れだけなんだけれども、そこに生きる若者に人間の真実を感じる。この作品が
芸術作品になっている。このようなことを言っているのではないかと思う。石
原の「苦役列車」に対する基本的認識は「超底辺に生きる若者の風俗、それだ
け」の小説ということである。
和田逸夫は民主文学二〇一一年六月号「『働く』」ことと『生きる』こと」
という評論で次のように書いている。
「『この豊饒な甘えた時代にあって、彼(西村)の反逆的な一種のピカレスクは
極めて新鮮である』と石原慎太郎が『選評』」で示した認識は、反面、的を射
ている。最底辺の下にまだ『超底辺』がいるということで慰藉させられる読者
が、この『豊饒な甘えた』今日の社会の中で、不満も疑問も抱かず、自ら置か
れた状況をひたすら甘んじて受け入れるというなら、(傍線は筆者)この階級社
会のヒエラルキーの頂点近くに立つ者たちには、確かに得がたい貴重な作品た
りえよう。」
和田は石原の「苦役列車」に対する基本的認識に「反面、的を射ている」と
同意を表し、この石原の基本的認識に従い、底辺社会に生きる人々の心を癒す
だけの小説、何ら現実社会に対する批判意識を生むことのない小説だと批評し
ている。
石原の「苦役列車」についての認識は、間違っている。重要なところを見落
としている。最底辺に働く若者の風俗の面白さにこの小説の本領はない。この
小説の本領はお金に縛られて働く現代の奴隷のような労働であっても仲間がで
きれば生き生き働くことができる。ここにある。ここを見落としている。石原
は忙しい時間を割いてきっと一度さっと読んだだけなのだろう。この石原の認
識を評価した和田の認識も間違っている。
「『豊饒な甘えた』今日の社会」と石原の言葉に「今日の社会」という言葉を
和田は書き足している。「『豊饒な甘えた』今日の社会」とはどのような社会
をいうのか何の説明もないので分からないが、大多数の日本国民は、特に社会
の底辺に生活する人々は豊饒な甘えた社会に生きてはいないだろう。甘えちゃ
いけないと厳しく規律されている。自助努力、自己責任を負わされている。こ
れが現実である。「不満も疑問も抱かず、自ら置かれた状況をひたすら甘んじ
て受け入れるというなら」という条件を和田自身が入れて、この小説に対する
批評をしている。がしかし、この小説の主人公貫多は不満も疑問も抱き、自ら
置かれた状況をひたすら甘んじて受け入れてはいない。受け入れざるを得ない
状況に生きているということである。「…なら」という条件を入れて解釈して
いるところに和田の「苦役列車」に対する評価の弱さがある。確かにこの小説
の面白さ、笑いに心が奪われかねない危険性があるように思う。ここに石原も
この作品のジェニュインがあると理解している。この点に私は異議を感じる。
「苦役列車」の主人公北町貫多は「豊饒な甘えた」時代のピカレスクではない。
父親が猥褻罪で逮捕される。テレビ番組ウィークエンダーで父親の事件が面白
おかしく放送される。両親が離婚する。母親と姉・貫多は近所の人々が寝静ま
った夜、ひっそりと生まれ育った家を後にする。親の事件に打ちのめされた少
年がそこにいる。中学を卒業すると母からも離れ、十六歳の少年は家を出て自
立する。誰にも心を開くことなく、暗くうつむいて生きる少年はその日の生活
の糧を得るため日払いの仕事を求め、東京の街をさまよう。この少年が何でピ
カレスクなのだろう。この少年が犯罪者の手先となり、盗みをする。俺オレ詐
欺の仲間になる。暴力団の使い走りにでもなればピカレスクといえよう。しか
し北町貫多は真面目に働き、日銭を稼ぎ、生きている。
豊饒な甘えた社会のピカレスクとは進学エリート高の少年が劣等感に陥り渋
谷のヤクザの手先になったりすることであるだろう。湘南海岸でヨット遊びに
興じ、「狂った果実」の少年になったのは「豊饒な甘えた」時代のピカレスク
であったであろう。親や学校などの善意に頼って遊びほうける少年たちである。
しかし、北町貫多は豊饒な甘えた境遇に生きていない。回りの人の善意に頼る
ことのできない厳しい社会の荒波に放り出された中学卒の少年である。中学卒
の少年や少女が金の卵と云われたのは三十年も前のことである。父親が性犯罪
者であるという劣等意識を背負った中学生貫多は父親と自分は別人格だといわ
れてもこの劣等意識に耐えるにはまだ貫多にその力は備わっていなかった。劣
等意識に心を奪われた貫多は中学校の生活を真面目におくることができなかっ
た。そのため貫多は中学校での進路指導・就職紹介を希望することができなか
った。教師もまた特に進路に関する相談を持ちかけることもなかった。劣等生
に対し学校は冷ややかである。中学からの紹介もなく、親の援助もなく社会に
放り出された十六歳の少年がアルバイト情報誌で見つけた仕事、履歴書も、保
証人も必要とせず、収入を得る道は日雇い人夫以外になかった。
貫多は自問する。三十キロの凍った蛸やイカを艀から冷凍庫へ、出荷用に冷
凍庫から台車へと積み替える仕事に出て行こうか、行くまいか悶々とする。優
柔不断な若者がここにいる。
アルバイト、パート、派遣労働を発注する企業が派遣会社に支払う費目は物
件費である。物件費とはコピー用紙やインク、ボールペンのような消耗品費の
ことである。派遣元の企業は派遣労働者を人間として見ていない。まさに現代
に生きる奴隷労働が日雇い人夫や派遣労務者の労働なのだ。ウォーターフロン
トに立ち並ぶ巨大な倉庫での単純肉体労働は中世の奴隷労働のようなものだと
貫多は感じている。この労働を貫多は嫌がっているのだ。尽きることのない単
純肉体労働、永遠に続く果てしない苦役として貫多は感じている。カミュが「シ
ジフォスの神話」で書いている。巨岩をシジフォスが山頂に運び上げると岩は
自らの重みで谷底に転げ落ちる。それをまたシジフォスは山頂に運び上げる。
するとまた、岩は自らの重みで谷底に転げ落ちる。そのような苦役として凍っ
た蛸やイカを運び出すことを感じている。賽の河原で石を積み上げては鬼に壊
され、また石を積み上げるような徒労としてしかこの労働が感じられない。苦
役としてしか感じられない労働をしたあと心と体を癒してくれるものはお酒と
女、そんな生活の中にあっても友人ができると奴隷のような仕事であっても出
勤するか、どうか、自問することなく体が朝起きると出勤態勢になる。どのよ
うな労働であっても仲間ができると、労働そのものが厭わしいものではなくな
ってくる。ここにこの小説の本領がある。
フォークリフトの運転作業をするため免許も無料で取らせてもらえる予定に
なる。がここで仲間の一人が運転練習中に足指を二本切断する事故を起こす。
家族を持つ怪我をした仲間を思い、暗い気持ちに貫多はなる。労災保険も何の
保障もないフォークリフト運転作業に貫多は物怖じする。フォークリフト運転
免許を取ることに躊躇した貫多は運転免許取得を遠慮する。このように貫多は
この仕事のあり方に疑問をもち、不満も持つのだ。
こうして日雇い人夫の労働が苦役以外の何者でもないということを西村賢太
は体験的に告発している。現日本社会の最底辺に生きる者にとっての人生とは
苦役を強制される列車に乗っているようなものである、と告発している。ここ
にこの小説の力がある。この小説は最底辺に位置する派遣労働のルポとしても
読むことができる。