醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   46号   聖海

2014-12-31 12:01:23 | 随筆・小説

 千葉県の地酒「木戸泉」さんのお酒

 四年前、野田市制六十周年を記念して、千葉県のお酒に親しむイベントを
私たちにしては大規模に行いました。楽しい会ができたことを皆して喜びあ
いました。醸造の街でこのようなイベントができたことを密かに自負したく
もあります。
 今、地場産業としての酒造業は衰退の一途を辿っています。地場産業の発
展なくして地域の発展はないのではないかと思います。私たち日本酒愛好家
にできることといったら地場産業としての酒造会社のお酒をおいしく飲むこ
とぐらいしかできません。遠いところから運ばれてきたお酒ではなく、同じ
県内のお酒を飲んで伝統産業としての酒造業を支えていく。これは地域の消
費者として大事なことではないかと思います。
 おいしいお酒、まがい物の入っていないきれいなお酒、真っ正直に造って
ある正しいお酒を飲みたい。そんなお酒は近場のお酒ではないかと思います。
千葉県のお酒を発見しましよう。
 私はインターネットを見ていて新しい千葉県のお酒を発見しました。その
お酒は木戸泉さんのお酒です。今までも何回か飲んだことはあるように思う
のですが、強い印象として残っていなかったのです。しかしネットに出てい
た「木戸泉物語上中下」を読み、すっかり木戸泉ファンになりました。その
最後の方に書いてあった言葉に深く感銘をおぼえたのです。それは次のよう
な文章です。
 日本酒業界の昨今の吟醸酒づくりはまことに結構なこどだが、吟醸の淡麗
味を礼賛するあまり、きれいな酒、きれいな酒と、ただきれいさだけを追い
かけている嫌いはないだろうか。別にきたない酒を呼びもどす気は毛頭ない
が、ほんとうの日本酒の味というものを忘れてはいないだろうか。あえてい
うならば雑味のうまみというものが昔のよき時代の日本酒にはあったのでは
ないだろうか。それが忘れられているような気がするのである。ちょうど、
八百屋の店先でコキコキと漂白したように洗ったダイコンやイモやネギばか
りが売れて、土のついた自然のそれらがそっぽを向かれているように、きれ
いに人工的にお化粧した酒ばかりが売れている、そんな気がしてならないの
である。
 ワイン先進国のワインをみても、高級ワインになればなるほど、かえって
人工を避けて自然そのものをバランスよく、たっぶりと含んでいるように、
私は思う。アフスにおける杜氏が攪拌する腕も、あれは自然の味を醸すひと
つの道具である。消毒した金属器具を使って撹杵しても、あのアフスの多彩
にして幅もあり深みもある味は出ない、と私は信じている。
 この文章には濃淳な味がする。濃淳なお酒、味のふくらみ、この中にお酒
を楽しむ喜びがある。単に酔うだけではなく、楽しむ、親しむ、味わう喜び
があるように思う。
 何年か前、秋田県大仙市の酒蔵「福の友酒造」を訪ねたことがありました。
ここのお酒もまた濃淳なお酒だったことを思い出します。「冬樹」とてもお
いしかった。これが日本酒だと感じたことが思い出されます。
 今年の正月は地元のお酒で新年を祝おう。