何に此(この)師走の市(いち)に行(ゆく)からす 芭蕉
句郎 「何に此(この)師走の市(いち)に行(ゆく)からす」という芭蕉の句がある
でしよう。
華女 へぇー、そんな句が芭蕉にあったの。全然ピンとこないけど。何を言って
いるの。
句郎 どんなことを詠んでいるのか。通じないかな。
華女 残念ながら、通じないんだけど。
句郎 カラスというのは、独り者の芭蕉のことなんだよ。
華女 はぁー、なるほどね。なんとなく、分かってきたわ。師走の市に行く必要
のない独り者であっても、「何に此」師走の市に足が向くのかと、いう意
味なのね。これは寂しい句ね。
句郎 侘しい句だよ。芭蕉は年の瀬に人恋しくなったんだよ。きっとね。それで
人混みにぬくもりを求めて師走の市に行った。その市で餌をつつく、から
すを見たんだ。
華女 なるほど。成程。絵が浮かんできたわ。
句郎 分かるでしょ。烏さん。お前さんも独りかい。賑わう市にひと肌の温もり
を求めても得られるものではないなぁー。芭蕉は烏に話しかけた。
華女 わかるなぁー。私も若かった頃、女一人のクリスマスを過ごした時の侘し
さったら、なかったわ。誰でもいいから、今夜、私と一緒にいてほしいと、
いうような気持ちになったことがあったわ。
句郎 都会の孤独のようなものを芭蕉は感じていたのかな。
華女 元禄時代の江戸とか、京都とか、浪速というのはすでに今の都会だったの
かしらね。
句郎 そうかもしれない。そうした都会を深く深く経験したからこそこのような
句ができたのかしれない。
華女 その時代を深く感じるとその句は文学になるのかしら。
句郎 きっと、そうだと思うよ。芭蕉をまねて俺も句をつくったんだ。
華女 句郎君はどんな句をつくったの。
句郎 暮にスーパーに行ったんだ。レジに並んだ前の白髪が納豆一つ買っていた。
「年の瀬や納豆一つ買う白髪(しらが)」。こんな句ができた。あー、芭蕉
さんには及ばない。
華女 そうね。句郎君の句と比べてみると芭蕉の句の凄さというか、深さみたい
なものが分かるわ。
句郎君の句は子どもの句よね。
句郎 そこまで言わなくともいいんじゃない。自分で十分わかっているんだから。
華女 自分で句郎君は言っているからいいのかなと思ったまでよ。悪気はないわ。
句郎 芭蕉は元禄三年正月二日、荷兮宛書簡に歳暮と記し、この「何に此」を挨
拶句として書いている。元禄三年の正月を芭蕉は故郷の伊賀上野で迎えて
いた。だから京や大坂の大都会ではないから、師走の市に行くときっと知
り合いに出会うことは間違いなくあったに違いない。そこで人との出会う
温もりを得ることはできた。そんな温もりを求めて特に買う物がなくとも
出かけて行って、この句を詠んだのだろうと思うけど。
華女 それでも、伊賀上野の農村にあっても、都会の孤独のようなものを芭蕉は
感じたのでしょう。そこが凄いことよね。
句郎 写生の中に確かに人間が表現されているね。