芭蕉と其角
ご免下さい。先生はご在宅でしようか。
其角さん、来てくれると思っていましたよ。ちょうど良いところです。
仙化さんと曽良さんが見えているんですよ。暖かくなってきたのはいい
んですがね、蛙(かわず)の鳴くのが、うるさいくらいですよ。それで仙
化さんが「蛙合(かわずあわせ)」でもしようと言っていたところなんで
すよ。
ああ、そりゃいいですね。私も仲間にいれていただきましよう。
もう、早速、仙化さんは一句ものにしてしまったんです。
いたいけに
蝦(かわず)つくばふ浮葉哉 と、蛙を詠みました。
蛙が落ち葉の浮いた池に浮かんでいる。それが可愛らしいというんで
すね。
私は「蛙飛び込む水のおと」、こりゃ俳諧になるな、と思っているん
ですが、上にどのような言葉がいいか思案しているところなんですよ。
先生、「山吹や」では、いいがでしよう。
蛙には山吹ですか。和歌の世界ですね。「かはづなくゐでの山吹ちり
にけり花のさかりにあはまし物を」古今集ですね。 私は「山吹」では、
俳諧にならないと思うんですよ。俳諧とは、私たちの日常の身近な言葉
で表現して、初めて俳諧になると私は考えているんです。ですから蛙が
鳴く。蛙の鳴き声では和歌の世界になってしまうように思うのです。
「山吹」でもだめ。「蛙が鳴く」・「蛙の鳴き声」でもだめだと思いま
す。皆さん、いかがでしよう。
なるほど、なるほど。
その前に一献いかがです。曽良は其角に酒を勧めた。
これはこれは。澄み酒ですね。
今日は上澄みの酒を持って来ました。
曽良は、師匠の芭蕉に向かって言った。
これはおいしい。茶碗に注がれた酒に口を付け、ニコニコしながら其
角は音をたてて飲んだ。だから先生は「蛙飛び込む水のおと」と詠んだ
わけですね。
こう其角が言うと芭蕉は蛙が飛び込む水の音は、俳諧だと感じたから
なんですがね、言った。
確かにそうですね。蛙を詠んだ新しい世界の誕生ですね。
うーん、そうなるといいんですがね。私は「古池や」はどうかと思う
んですがね。
上五に「古池や」という言葉を聞いた其角、曽良、仙化の三人は声を
そろえて言った。「蛙飛び込む水のおと」。素晴らしい。まさに俳諧だ。
談林の俳諧から抜け出した新しい蕉風の誕生を告げる俳句になると口
々に言った。先生は蛙が水に飛び込んだ水の音を聞いて心に古池のイメ
ージが湧いたということですね。深川の芭蕉庵の周りには古池などあり
ませんものね。なにか、ドボンという水の音が聞こえたとき、蛙が水に
飛び込んだ音だと分かりました。ただ一つだけの音だったので、一匹か
なと思ったんです。すると自然と私の心に今では使われなくなった用水
ようの池が心に浮かびました。それは私が子供のときに見たものなのか、
それとも旅の途中で見たものなのか、はっきりしないんですが、そこに
侘びの世界を感じたものですからね、と芭蕉は言った。
「古池に蛙はとびこんだか」を参照。物語りました。