醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   31号   聖海

2014-12-16 10:05:19 | 随筆・小説
 
 芭蕉の人柄を尋ねる

 句郎 華女(はなこ)さん、芭蕉さんとはどんな人だったと思う。
 華女 そうね。印象としては清貧な人、ただひたすら俳諧道に殉
    じた聖人という感じかな。
 句郎 そうだよね。侘びとか、寂びという言葉から感じる世界は、
    清く、質素で美しいものね。そんな世界に生きた人という
    イメージがあるよね。
 華女 確かにそうだわ。「野ざらし紀行」の冒頭に出てくる句
   「野ざらしを心に風のしむ身哉」ですものね。ただひたすら
    俳諧道に生き死んだという印象があるわ。
 句郎 学校では教わらなかった句を読んでみると驚くような句が
    あるんだけれどもね。
 華女 そんな句があるの。
 句郎 芭蕉は俳諧の宗匠さんだったでしょ。尾形仂が「俳諧の本
    質は、人の和をもって始まり、それをもって終わる。すな
    わち、俳諧における座とは、文芸的な人間連帯である連衆
    心(れんじゅしん)を営んだ場である。孤独を自覚する者
    同士が、日常性とは別次元の関係でつながり、生きる楽し
    みを共にする。俳聖・芭蕉にとって座こそ、その詩情を誘
    発し、増幅し、普遍化する、いわばかれの詩の成立に不可
    欠の媒体であった」と説いている。その俳諧に「宮にめさ
    れしうき名はずかし 曾良」という句に芭蕉が「手枕にほ
    そき肱(かいな)をさしいれて」という句を付けている。清
    貧な世界とは違うなと感じない。
 華女 雅(みやび)というか、色町の風情と言った方がいいような
    世界ね。
 句郎 そうだよ。公家のいい男に口説かれたのが、嬉しくも恥ず
    かしいという曾良の句にその男と同衾した女が細い腕を手
    枕にしてやろうと男の首の下に刺し入れてやったという句
    を芭蕉が付けたわけだからね。
 華女 学校じゃ、教えられない句ね。
 句郎 とても教えられない。教えたら、その教師は首になるかも
    ね。
 華女 私もそう思うわ。こな句を読むと芭蕉さんに対するイメー
    ジが壊れちゃうな。知りたくなかったわ。
 句郎 またこんな俳諧もあるよ。「さまざまに品かはりたる恋を
    して」という凡兆の句に芭蕉が「浮世の果ては皆小町なり」
    と付けているんだ。
 華女 芭蕉さんは遊び人だったの。そんな感じがするな。「浮世
    の果ては皆小町なり」。この句にはいろいろな意味がある
    と思うわ。女遊びをしたプレーボーイはよく言うわ。女は
    みんな同じだって。こな意味もあれば、どんなにいい女だ
    って年とれば、小野小町がそうだったように男たちは振り
    向かなくなる。こんな意味もあるように思うな。こう思え
    ば人生の無常が表現されているとも言えるように思うけど。
 句郎 うーん。そうだね。でもこんな句を詠んだ芭蕉を知りたく
    なかったというのが、本音かな。
 華女 本当に知りたくなかった。なんか、芭蕉のイメージに傷を
    つけられたような感じがするわ。
 句郎 芭蕉は世俗に生きた人だったんだ。元禄という時代を生き
    た生身の人間だったんだと思うけど