醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   24号   聖海

2014-12-08 10:23:39 | 随筆・小説
 
 蕉風は生きている

 上着きてゐても木の葉あふれだす  鴇田智哉

 日曜、朝のNHK俳句を楽しみにしている。先日、神野紗希氏が
ゲストとして出演し、鴇田智哉氏の句を紹介した。この句は現代の
気分が表現されているというような発言をした。鴇田氏の句が何を
表現しているのか、私には全然わからなかった。寒くなってきたか
ら上着をきてゐても「この葉あふれ出す」。何を言っているのか、
全然通じない。こんなのが現代の俳句なのか。こんな句が今の若者
の心に染みるとはなになんだ。
 調べてみたら、鴇田氏は45歳だ。若者とは言えないな。中年の親
爺がこんな人を煙に巻くような句を詠み、若い俳人と称する人々に
人気を得ているようだ。
 また、「上着きてゐても」と「い」の字を旧仮名「ゐ」を用いて
いる。現代仮名遣いの「い」ではなく、旧仮名の「ゐ」で表現しよ
うとしたことは何なのか。「ゐ」は「wi」だ。だから少し間ができ
る。「い」は「i」だ。間が抜けるのかな。「ゐ」の方が「い」より
ゆっくりした時間が流れるように感じる。何べんも声を出してこの
句を読んでいるうちにふっと気づいた。寒くなってきたなー。上着
を着ていーても木の葉が木から落ちてくるように私の心から言の葉
があふれてくる。そういえば、今の日本社会は経済成長が止まり、
給料が上がっていくことがない。正規職員への就職は難しい。豊か
さのようなものが感じられない。上着を着ていても、寒い、寒いと
木の葉があふれだすように不平、不満があふれだしてくる。
 バブル景気に酔った若者がジュリアナ東京で踊り狂った話を聞く
につけ、今の若者はなんと寂しく、寒いのか、こんな若者の気分を
表現したものが鴇田氏の句なのかもしれないと感じた。今の若者は
寒くなっていく時代を軽く軽く受け流している。鴇田氏の句のこの
軽さが今の若者の心に染みるのかもしれない。
 鴇田氏は上着を着て散歩でもしていた時の心象風景を詠んだもの
と私は理解した。
 日本人なら誰でも知っている芭蕉の句、「古池や蛙飛び込む水の
音」が表現しているものは「古池に蛙が飛び込み、水の音がした」
ということではなく、「蛙が飛び込み、水の音」を聞いた芭蕉が心
に「古池」のイメージが浮かんだという芭蕉の心象風景を詠んだも
のだと長谷川櫂が「古池に蛙は飛び込んだか」という本で主張して
いる。ここに蕉風がある。蕉風とは心象風景を詠むことのようだ。
鴇田氏の句の中には芭蕉が成し遂げたものが継承されているように
感じた。本人はそのようなことがわかって詠んでいるつもりはなく
とも我々は過去の人々の経験の上にしか作品を詠むことはできない。
 芭蕉は17世紀後半に生き、その時代を表現したように今の俳人も
また今の時代を表現している。蕉風は今も生きている。
 現代の俳句は現代という時代を表現する。