醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより 106号 聖海

2015-03-01 12:12:26 | 随筆・小説

   山の神さんは嫉妬深い

 居酒屋「此処」の暖簾を分けて入るとニコニコ顔のゲンちゃんがいた。

哲 ゲンちゃん、しばらくだね。一年ぶりくらいになるかな。
源 よせやい。おととい此処で飲んだばかりじゃないか。
哲 そうだったかな。本当にしばらく逢っていないような感じがしたもんだからさ。
源 テッちゃん、アルツの心配はないの。アルツにかかると昔の事の記憶はあるけど、直近のことの記憶はないというから心配だな。若年性痴呆症が流行っているというから一度見てもらってはどうなの。
哲 ゲンちゃん、止めてくれよ。勘弁してちょうだい。ゲンちゃんがこの間、話していた小説、何と言ったっけ。
源 「邂逅の森」かい。
哲 そうそう、「邂逅の森」読み始めたら止まらなくなっちゃってね。とうとう最後まで読んじゃったよ。
源 さすが、テッちゃんだね。なかなか面白かったろう。
哲 面白かったよ。「夜這い」の所なんか、面白かったな。
源 今でも、同じような話があるように感じるだろう。若い男が憧れる女には案外、男がいなかったりする。まあー、たまにだろうけれどね。
哲 うーん。それも男たちが物怖じして敬遠してしまうくらいな、いい女の場合だよね。思いきって、ダメ元で「夜這い」をかけたら受け入れてくれたという話だよね。
源 男は度胸だよ。見る前に飛ぶ勇気だよ。
哲 たまに、成功することもあるということかな。
源 俺はマタギの話に興味を持ったんだ。雪山に越冬するマタギに男を感じたのさ。
哲 山の神さんは醜女(しこめ)で嫉妬深い。我が家の山の神も醜女(しこめ)で嫉妬深い。嫉み始めたら手におえない。
源 そうだよ。だから俺なんか、清く貧しく生きているもんね。女房以外の女を知らない男なんて俺ぐらいなもんじゃないの。
哲 ゲンちゃん、そこまで言う。
源 ウソじゃないよ。
哲 昔、吉原に行った話はどうなの。マタギは山の神様の怒りをかわないよう、冬山の熊撃ちに初めて加わる者は一月も前から女を絶ち、禁欲する。きっと、これはマタギの慣わしだったんだろうね。
源 そうだよ。熊撃ちの雪山に初めて入る若者は下半身を露出し、一物を勃起させ祈る。女の山の神さんへの供物なんだろうな。参加するものは厳粛にその行事を執り行う。
哲 山の女の神さんもやはり若い男が好きに違いないと思っているところが面白いね。
源 そう信じて疑わず、ひたすら猟が安全にできますよう、祈る。ここに男がいる。そんな感じがするんだ。
哲 つい最近までこのような神話的な世界があったことに驚いたね。
源 家を建てる前に行う地鎮祭のように儀式というものは大事なことだと思うね。
哲 そうかもしれないね。小熊を抱えた熊は決して撃たない。自然の摂理には逆らわない。掟や仕来りを破ることは決してしない。
源 そうだよ。昔から伝えられている仕来りや掟は大事なことなんだよ。
哲 山の恵は神様から頂いたものだと言う思いが掟や仕来りを守らせていたんだろうね。
源 山に暮らす者は山を大事にする。当たり前のことなんだろうな。
哲 海に暮らす者は海を大事にする。荒れる海を恐れ、恵みを与えてくれる海に感謝する。これが当たり前の人々の在り方なんだろうね。
源 沖縄に生きる漁師たちがサンゴの海を破壊するなと米軍基地建設反対を唱えるのは尤もなことだと思うね。