醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより 133号  聖海

2015-03-27 10:44:04 | 随筆・小説

   「が」と「の」は文章の中でどのような役割をするか
      「五月雨の降りのこしてや光堂」  芭蕉『おくのほそ道』中尊寺

 「五月雨の降のこしてや光堂」。中尊寺の光堂に参拝したときに芭蕉が詠んだ句である。この句は「金を打延たる如く」と芭蕉が去来に述べた一物仕立ての句である。句中の「や」で切れている句である。この句の「五月雨の」の「の」の意味が解りづらい。
この句が表現していることは「五月雨が」光堂を「降り残した」。散文で表現するなら、これだけでたりる。この散文に想いの丈を込めたものが韻文、俳句である。芭蕉は想いの丈を込めて「五月雨の」と詠みだした。
曽良旅日記によると芭蕉と曽良が中尊寺に参ったのは陰暦の五月十三日である。この日付を太陽暦に換算すると六月二十九日になる。この時期はまさに梅雨の頃である。この梅雨の時期の雨を「五月雨」という。ざぁーざぁー降る雨が五月雨なのだ。この強い風雨に何百年間もさらされて猶、光堂は金色に輝いていた。きっと光堂には雨を天の神は降らせなったに違い。このような解釈がある。また一方には長年にわたる風雨に耐え忍び光堂は金色に輝き続けているという解釈がある。キーポイントは五月雨にある。ざぁーざぁー降る強い雨だ。この雨「が」光堂を降り残した。これで文章は完結する。これに対してざぁーざぁー降る強い雨「の」降り残した。これでは気持ちがすっきりしない。文章が完結しない。ざぁーざぁー降る強い雨「の」降り残した光堂。これで気持ちがすっきりする。文章が完結する。
 「五月雨(が)降りのこしてや光堂」と「五月雨(の)降のこしてや光堂」。たった一字しか違わないが「の」の方が感慨が深い。芭蕉の想いが伝わってくる。
「が」では俳句にならない。意味は通じても芭蕉の想いが伝わらない。醸し出す余韻がない。なぜなのだろう。
「の」と「が」が表現する文法的な役割は同じなのだ。だから「の」を「が」に変えても意味は通じる。問題はなぜこの俳句の場合には「の」でなければならないのか。「の」の方が想いが伝わり、感慨が深くなるのだろう。
 「五月雨が降りのこした光堂」。「五月雨の降りのこした光堂」。両方とも文章としては問題がない。しかし意味に違いが出てくる。「が」の場合は五月雨が強調されるのに対して「の」の場合は光堂が強調される。「の」と「が」では意味合いが異なってくるのだ。芭蕉が表現したかったのは「光堂」なのだから「の」でなければならない。
 「の」も「が」も文法的には格助詞だ。この句の場合、主題を導く役割をしている。そのため入れ替えは可能なのだ。可能ではあるけれども意味合いに違いがでてくる。「君(が)代」は「君(の)代」とも表現は可能だ。意味も同じだ。けれども「君が代」は「君が代」でなければならない。こう表現しなければ私たちの気持ちはすっきりしない。この場合の「が」と「の」の働きは体言に付いて連体修飾語をつくる役割をしている。この場合も「君が代」の場合は君を強調するが、「君の代」の場合は代を強調する。だから「君が代」は君・天皇を讃える歌なのだ。天皇を讃える歌でなければならないから「君の代」であってはならない。「君が代」でなければならない。