醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより 109号  聖海

2015-03-04 11:15:59 | 随筆・小説

 人の世はなんと無常か!大粒の涙が芭蕉の頬をつたった
    むざんやな甲(かぶと)の下のきりぎりす  芭蕉『おくのほそ道・小松』

 
 「あなむざんやな」、あー、これが斉藤別当実盛の兜か。声をあげた芭蕉はハラハラと涙が頬を流れ落ちるのを感じた。五百年前の兜が今に伝えられている。兜や錦の鎧の無惨な姿に芭蕉は心を痛めていた。謡曲『実盛』の話が胸に木霊した。武士道の鑑・実盛の兜がこんなに粗末にうち捨てられたように飾られているとは。
実盛は幼少時の源義仲に情けをかけ、木曽に逃がした。実盛は人情に篤い武士であった。血で血を洗う戦国の世、保元・平治の乱で実盛が仕えた義朝が平氏に敗れると源氏の武将であった実盛は平氏に立ち位置を変え、平清盛の三男、宗盛に仕えるようになった。
源義朝滅亡後、伊豆に流されていた義朝の三男、頼朝が挙兵すると、源平合戦が再燃した。骨肉相食む下剋上の世にあっても実盛は平氏の将軍として参戦する。倶利伽羅峠の戦いでは圧倒的な強さを源氏の将軍木曽義仲軍はみせ、平氏の軍勢は雪崩を打って散り散りとなった。篠原合戦で部下を失った平氏の将軍、実盛は将軍の出で立ち、白髪を染めて龍頭を飾った兜を被り、錦の直垂(ひたたれ)を着け一人、源氏の軍勢と向かい合った。名を名乗れといわれても、実盛は名乗らず、組み伏せられて止めを刺される。実盛は平宗盛への忠義を尽くす。実盛は故郷の地、篠原合戦に武士の魂・忠義という錦を飾ったのである。
実盛を知る木曽義仲の部下・樋口次郎は、ただ一目みて「あなむざんや」と声をあげた。実盛は白髪まじりの髪を染めた。前主君・源義朝に拝領した兜を被り、現主君・平宗盛に許された出で立ちで故郷に錦を飾った。かつて命を助けた義仲の情にすがりつくこともなく、けなげな最期を遂げた実盛に芭蕉の心はうち奮えていた。
『老木に花の咲かんが如し』、世阿弥の言葉に実盛の姿を芭蕉は見ていた。甲の下ではコオロギが鳴いているではないか。人生とは無常なものだなぁー。

 
 「醸楽庵だより」を読んで下さる読者の方々、お願いがございます。毎日書いて100号を超えることができました。私の日課になりました。芭蕉についてのいろいろな情報があれば教えて下さい。また私の文章で間違っている箇所があれば、ご指摘下さい。批評もして頂けれはと思います。よろしくお願いします。