『おくのほそ道』最後の句
蛤(はまぐり)のふたみにわかれ行秋ぞ 芭蕉 大垣
句郎 『おくのほそ道』の最期の文章を読むと師匠と弟子の人情の篤さが伝わってくるね。
華女 そうね。露通さんはわざわざ敦賀まで師匠芭蕉を迎えに行っているんでしょ。
句郎 露通さんは漂白の乞食生活していたところ、芭蕉と出会い、蕉門に入った人のようだ。乞食生活をして敦賀まで出迎えたとは驚くよね。
華女 芭蕉を出迎えたのは露通さんだけじゃなかったんでしょ。
句郎 そうなんだ。闘病していた曾良が伊勢から大垣まで来て芭蕉を出迎えた。
華女 凄いわね。芭蕉は門人から好かれていたのね。
句郎 うん。人気があったんだ。越人(えつじん)さんは名古屋から大垣まで馬をとばして芭蕉を出迎えたんだからね。
華女 昔の人はホントに人情が篤かったのね。
句郎 元大垣藩士だった如行(じょこう)さんの家に集まった。
華女 その他にもいたんでしょ。
句郎 「前川子(ぜんぜんし)、荊口(けいこう)父子、その外したしき人々、日夜とぶらひて、蘇生(そせい)のものにあふがごとく」と『おくのほそ道』に書いてあるから十人弱の人々が如行さんの家に集まり、芭蕉が帰って来たことを喜び合ったんだろうね。
華女 御無事でなによりでしたと、でも言い合ったのかしらね。「師匠、是非紀行の俳文を書いて下さい」と弟子たちは皆、お願いしたんじゃないかな。
句郎 そうかもしれない。それで生れたのが「おくのほそ道」なのかな。
華女 そうなんじないの、きっとそうよ。
句郎 師匠である芭蕉は弟子たちと共に二・三日、大垣で過ごすと「長月の六日になれば、伊勢の遷宮おがまんと、又舟にのりて」と書いて「蛤(はまぐり)のふたみにわかれ行秋ぞ」と別れの挨拶句を残して伊勢へ旅立つ。
華女「伊勢の遷宮」とは何なの
句郎 内宮、外宮の社殿をすべて新しく作り替えて神霊が坐する場所・神座を遷すお祭りを言うらしい。
華女 そういえば、2013年伊勢の遷宮があるから伊勢神宮に行かないと誘われたわ。
句郎 そう、21年ごとに遷宮は行われてきたそうだよ。元禄時代にも伊勢の遷宮があったんだね。
華女 神道への信仰は無いようで確実に日本社会に根付いているのね。
句郎 芭蕉は禅宗の教養を持ち、神道への信仰もあった。おおよそ今の日本人とかわらない宗教観を持っていたのじゃないかな。
華女 そうね。伊勢は蛤の名所じゃない。
句郎 「蛤の」と上五に始まるのは「伊勢の遷宮おがまんと」とから思いついたんじゃないかな。
華女 「ふたみ」は蛤の蓋(ふた)と身(み)のことかしらね。
句郎 そうなんじゃないかな。それと伊勢には名所・二見が浦があるじゃない。「ふたみ」は掛詞になっているのかもしれない。
華女 あっ、そうなの。
句郎 どうも、そのようだよ。「ふたみにわかれ行」とは蛤が蓋と身が離れ離れになるように私も弟子の皆さんとわかれ行きます。行秋と共に。こんな意味なのかな。
華女 この句はなかなか技巧的な言葉遊びの句になっているのね。
句郎 だから談林派の俳句のようだと指摘する人がいるんだ。「おくのほそ道」の終わりに載せる句として適当ではないのではないかと主張がある。
華女 なるほどね。「風雅の誠」の世界とちょっと違うというわけね。
句郎 それから、「行秋」で終わっているのは「行春や鳥啼魚の目は泪」で始まっている句に対応していると言われているようだ。
華女 そうよね。「行春」で始まり、「行秋」で「おくのほそ道」は終わっているのね。