人生訓となった。諺になった俳句。
おもしろうてやがてかなしき鵜舟哉 芭蕉(貞享五年夏)
句郎 「おもしろうてやがてかなしき」とは、なにか人生を表現しているような言葉だね。
華女 そうね。私も小学校の先生になった当初は学校が面白かったわ。子供がとても可愛いくてね。それがだんだんうるさくなってくるのよ。四十数人の子供たちがおしゃべりしている中で授業する辛さが身に沁みてくるわよ。そのうち、こんなウルサイ子供たちに囲まれて私の青春は終わってしまうのかと思うと悲しくなっなったわ。
句郎 大学に入り、麻雀を覚えた仲間がいた。そいつは徐々に学校に来なくなっちゃったんだよ。そのうち全然学校に来なくなっちゃったんだ。仕送りされてきた授業料まで使い込んじゃって、大学を除籍されちゃった奴がいたな。そいつと偶然、高田馬場駅前であった時、ションボリしていたのを覚えているな。「おもしろうてやがてかなしき」人生を歩んだんだと思うな。
華女 人生には危険なことがたくさんあるから気を付けないとね。
句郎 そうだね。子供が大人になるのって、何でもないことのように思うけれども大変なことなんだよね。
華女 そうよ。芭蕉は鵜飼を見て、この句を詠んだんでしよう。
句郎 「おくのほそ道」の旅に出る前の年、芭蕉は岐阜の長良川に遊んだときに詠んだ句のようだよ。
華女 鵜舟になぜ芭蕉は面白さと悲しさを感じたのかしら。
句郎 鵜飼をする鵜匠さんは川魚の王様・鮎を鵜に取らせる。鵜の首を縄で縛り、飲み下すのを阻止する。見方によれば残酷に漁法なんじゃないかな。そんな残酷な見世物をする鵜匠さんにとって鵜飼は面白くも悲しさに満ちた見世物だと芭蕉は感じたんじゃないかな。
華女 鮎は本当に美味しいお魚よね。鮎の口に串を刺し、囲炉裏の炭火で焼いた鮎は絶品よね。
句郎 確かに、カラッと焼き上がった鮎の塩焼きで日本酒を飲む。最高の美味しさであることは間違いないね。
華女 鵜飼は夜するのでしょ。
句郎 カンテラの明かりに集まってくる鮎を鵜が捕まえる漁法だからね。それがショーにもなっている。
華女 川原の夜のショーだから、汚いものが見えないから夏の夜の幻想的な風景が展開するのかもよ。
句郎 娯楽としてのショーに潜む悲しみのようなものを芭蕉は感じたたんじゃないかと思うんだ。
華女 「おもしろうてやがてかなしき鵜舟哉」。芭蕉の俳句の中で最高傑作の一つと言っていいんじゃないかしらね。
句郎 うん、僕もそう思うよ。『「奥の細道」をよむ』と言う本の中で長谷川櫂氏が次のようなことを言っている。芭蕉は『おくのほそ道』の旅を通して「かるみ」という人生観というか、文学観を得た。「かるみ」とは「かなしゅうてやがておもしろき鵜舟哉」というようなものだと、言っている。
華女 「おもしろうてやがてかなしき鵜舟哉」を逆にしたのね。逆もまた真と言うことなの。
句郎 我々の目の前の現実はいつも無慈悲で残酷な悲しみに満ちたものだけれども、この悲しみに満ちた現実もそう捨てた物じゃないぞ。この現実の中には面白い現実もたくさんあるんだ。この喧しくウルサイ子供たちの中にもじっくり心を籠めて付き合えば面白いぞということじゃないかな。
華女 悲しみを軽く受け入れるということなのかしら。
句郎 そうなんじゃないかな。正岡子規という人は痛くて辛い病の中を平気に生きていくと言った。死を前にして平気で生きていく。これが「かるみ」ということなんじゃないかと思っているんだけれどね。