醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより 125号  聖海

2015-03-19 11:12:39 | 随筆・小説

  
  「萩の塵」は本当に塵だ    
          波の間や小貝にまじる萩の塵  芭蕉『おくのほそ道・種(いろ)の浜』

句郎 華女さん、萩を詠んだ芭蕉の句の中で一番好きな句は何かな。
華女 すべて知っているわけではありませんよ、「白露もこぼさぬ萩のうねり哉」と言う句がありますでしょ、この句がいいかなと思っているわ。
句郎 そうだね。この句は萩をリアルに表現していると僕も思うな。
華女 そう思ってくれる。
句郎 萩は道野辺にたわわに垂れて咲くんだ。細い木が人の背丈ほども伸び、たわわな葉と細い枝に小さな花が幾つもつく。朝の秋、萩の小さな葉に玉となった露がころんでいるんだ。萩の枝が頭を垂れてそよ風にも木が震える。
華女 朝の秋の萩の風情が見える句が「白露もこぼさぬ萩のうねり哉」なのね。
句郎 「白露もこぼさぬ萩のうねり哉」。この句は満開の萩の花を詠んでいるが「波の間や小貝にまじる萩の塵」、この句は花が散った後の萩を詠んでいる。
華女 「萩の塵」ですものね。
句郎 晩秋の萩かな。散った後の萩の花はまるで塵のような存在になるんだ。泥と区別がつかないような塵そのものになってしまうんだ。
華女 句郎君、詳しいじゃないの。
句郎 うん、奈良の唐招提寺にいたことがあるんだ。秋になると伽藍にたくさん萩の花が咲いてね、とても綺麗だった。萩の花が散ると伽藍の砂に混じってしまい、掃除が大変だったことを覚えているよ。
華女 「小貝に混じる萩の塵」という言葉には分かるような気がするのね。
句郎 そうだね。実際、種(いろ)の浜から見える波間には赤い小貝が漂っていたんだと思う。だから萩の散った花の残骸も波間に漂っていたんじゃないかと思うけどね。
華女 芭蕉は西行の歌に誘われて種の浜に行ったんでしょ。
句郎 「潮染むるますほの小貝ひろふとて色の浜とはいふにやあるらむ」(西行・『山家集』)かな。赤い小貝が波間に漂うと海が赤く見えたから「種(色)の浜」と言われるようになったらしい。西行の歌の通りだ。
華女 「小貝に混じる萩の塵」は見えたまま絵のように描きとっているのね。
句郎 僕はそうなんじゃないかと思っているんだ。長谷川櫂氏が『「奥の細道」をよむ』の中で「萩の塵」は芭蕉の幻想だろうということを言っているけれども、この指摘は違っているんじゃないかなと思っている。
華女 「潮染むるますほの小貝」と西行が詠んだように潮が赤く染まることがあるのかしら。秋、「種の浜」に今でも行くと海は赤く見えるのかしらね。
句郎 ネットで「種の浜」の写真を見ると海が赤く見える写真は一枚もなかったよ。しかし見方によっては赤くはないが赤っぽく見ようと思えば、わずかながら赤くも見えるかなァーという写真があった。
華女 波間が赤く見えるのはホンの一瞬のことなのかもしれないわよ。
句郎 芭蕉の句はリアルな所に特徴があると思っているんだ。
華女 「塩鯛の歯ぐきも寒し魚の店」だったかしら。
句郎 そうだよ。クールベの絵のようなリアルさが芭蕉の句の凄さだと思っているんだ。