醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  号外3号  白井一道

2018-11-03 11:02:01 | 随筆・小説


 徴用工判決について  宮武嶺氏のブログを転載させていただきました。


 朝鮮半島が大日本帝国の植民地にされ、日本統治下にあった戦時中、日本本土の工場に強制徴用された韓国人の元徴用工4人が、新日鉄住金を相手に損害賠償を求めた訴訟の上告審で、韓国大法院(日本で言う最高裁)は、個人の請求権を認めた控訴審判決を支持し、同社の上告を退けました。
 これにより、同社に1人あたり1億ウォン(約1千万円)を支払うよう命じた判決が確定したのですが、この判決に対して、日本では官民挙げて猛攻撃しています。
 いわく
「日韓請求権協定で、強制徴用の問題も含めて最終解決しているのだから、この判決は不当な蒸し返しである」
 確かに、1965年に日韓国交正常化に伴い締結された日韓請求協定では、日本が韓国に無償3億ドル、有償2億ドルを供与することで、
「両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決されたと確認する」(2条)
とされています。
 しかし、ここで最終解決されたという「請求権」の具体的な対象は明記されていませんし、本件のように被害者個人が日本企業に請求する
「個人請求権」
という言葉は言葉さえ出てきていませんから、この中に含まれていないことは明らかです。
 日韓請求権協定は国と国同士の一種の条約ですから、国とは別人格の個人の権利を勝手に放棄したりすることはできません。条文にも「両国間の」とあるように、これは国同士がお互いに賠償請求しないことを決めた協定であることは実は明白です。
 そして、このことを日本の外務省も日本の国会で何度も説明してきました。
 たとえば、1991年8月27日の参院予算委員会では、当時の柳井俊二・外務省条約局長がこの日韓請求権協定について、「両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決した」の意味を、以下のように答弁しています。
「その意味するところでございますが、日韓両国間において存在しておりましたそれぞれの国民の請求権を含めて解決したということでございますけれども、これは日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。
 したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません。日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることはできない、こういう意味でございます」

 同じく、柳井氏は別の時にこう詳しく説明しています。
「しからばその個人のいわゆる請求権というものをどう処理したかということになりますが、この協定におきましてはいわゆる外交保護権を放棄したということでございまして、韓国の方々について申し上げれば、韓国の方々が我が国に対して個人としてそのような請求を提起するということまでは妨げていない。しかし、日韓両国間で外交的にこれを取り上げるということは、外交保護権を放棄しておりますからそれはできない、こういうことでございます」
「この条約上は、国の請求権、国自身が持っている請求権を放棄した。そして個人については、その国民については国の権利として持っている外交保護権を放棄した。したがって、この条約上は個人の請求権を直接消滅させたものではないということでございます」(1992年2月26日衆院外務委員会)
 柳井氏は非常に有名な外務官僚で、後に外務省の事務方トップの事務次官、外交官としてトップの駐米大使も務めたエリート中のエリートですが、その人が条約関係をつかさどる条約局のトップであるときに、日韓請求権協定について
「この条約は個人の請求権を直接消滅させたものではない」
と明言しているのです。
 また、
「韓国の方々が我が国に対して個人としてそのような請求を提起するということまでは妨げていない」
とも断言しているのですから、ましてや、強制徴用で働かせた直接の加害者である日本企業に請求を提起することは、日韓請求権協定から全く問題はないことは明らかなのです。
 これでは、日本の政府も企業もマスコミもネット右翼も、日韓請求権協定で個人の賠償請求権まで解決済みだなんて、口が裂けても恥ずかしくて言えないと思いませんか?


醸楽庵だより  900号  白井一道

2018-11-03 10:40:55 | 随筆・小説


  まゆはきを俤にして紅の花  芭蕉  元禄二年


句郎 「まゆはきを俤にして紅の花」、『おくのほそ道』に載せてある句を鑑賞したい。
華女 この句、世俗を逃れ風雅に生きる俳人の句じゃないわね。
句郎 俳諧師とは、世俗に生きる遊び人だったのかもしれないよ。
華女 芭蕉とは、そんな人だったのかしら。
句郎 元禄時代、「まゆはき」などという化粧道具を使う女性は色町、遊郭に生きる女性たちだったんじゃないのかな。
華女 芭蕉も遊郭で遊んだ経験のある人だったのか
しらね。
句郎 遊郭での遊びは勿論、宿場町の飯盛り女や女郎と遊んだ経験は豊富にあったと思う。だからこそ「まゆはきを俤にして」などという言葉が出てきたのではないかと思うよ。
華女 紅は高級品だったのよね。花魁と言われるような高級娼婦でなきゃ、頬紅や口紅など塗れなかったのじゃないのかしら。
句郎 紅一匁は金一匁に相当したようだからね。芭蕉はこの句を尾花沢で詠んでいる。尾花沢は紅花の産地だった。芭蕉がお世話になった鈴木清風は
紅花商人として富を蓄えた人だった。現代にあっても最上紅花は高級品として珍重されているらしいよ。
華女 お化粧した女と遊んだことを思い出してこの句を詠んだのかしらね。
句郎 きっとそうだと思う。芭蕉は清貧に生きた俳諧師ではなかった。世俗の垢にまみれた世界に生きた俳諧師だった。もともと俳諧師とは、世俗の塵にまみれて生きる今でいうなら芸能人の一人だったと考えている。
華女 芭蕉は芸能人。そうなのね。分かるような気がするわ。西鶴は芸能人よね。俳諧師、大衆小説家、それが西鶴よね。芭蕉も基本的には西鶴と同じような人だったのよね。
句郎 尾花沢は紅花の産地だ。紅花を見て芭蕉はお化粧する花魁を想像したんだと思うな。
華女 芭蕉も花魁と一夜を過ごしたことがあったのね。
句郎 花魁のことを傾城とも言われていたから、とても高値の花だった。芭蕉は花魁を揚げるほどのお金を持ったことはなかったろうから、花魁を遠くから見た経験はあったかもしれないな。
華女 芭蕉庵から吉原は近いわよね。芭蕉も吉原へは通ったことがあったのかしらね。
句郎 まゆはきというお化粧道具を知っているということは、お化粧する女性を間近に見た経験があったということだと思うな。男は化粧する女を見てはいけないという男文化があるようだからね。その男文化を犯してお化粧する女を見た経験があるということは、馴染んだ女がいたのかもしれないな。
華女 伊賀上野から出てきて上水道工事の請負をしていたというじゃない。芭蕉は商売人としても成功しているのよね。遊んだのはその頃のことなんじゃないのかしら。
句郎 そうなのかもしれない。吉原で若かった頃、初めて遊んだことを思い出して詠んだ句が「まゆはきを俤にして紅の花」だったのかもしれないな。尾花沢の紅花畑に咲く紅花を見て想像力が刺激されたのかもしれないな。
華女 眉についた白粉を払い落とす道具がまゆはきよね。