醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  906号  白井一道

2018-11-10 11:42:09 | 随筆・小説


  暑き日を海にいれたり最上川  芭蕉  元禄二年



句郎 「暑き日を海にいれたり最上川」、『おくのほそ道』に載せてある句を鑑賞したい。『曽良旅日記』を読むと旧暦の元禄二年六月十四日(新暦七月三十日)「寺島彦助亭へ 被レ招。俳有。夜ニ入帰ル。暑甚シ」とある。「俳有」とは、寺島彦助亭(安種亭)において俳諧を編んだということ。その俳諧の発句が「涼しさや海にいれたる最上川」だった。
華女 芭蕉は「涼しさや」の句を推敲し、『おくのほそ道』に載せるときに「涼しさや」を「暑き日を海にいれたり最上川」とし
たのね。
句郎 そう、「涼しさや海にいれたる最上川」は、俳諧の発句だが、「暑き日を海にいれたり最上川」は俳諧の歌仙から切り離され、一句として独立した俳句になっている。
華女 俳諧の発句「五月雨を集めて涼し最上川」を推敲し、俳諧から独立した一句にしたのが「五月雨を集めて早し最上川」だったのと同じことね。
句郎 『おくのほそ道』の俳文、「羽黒を立て、鶴が岡の城下、長山氏重行と云物のふの家にむかへられて、俳諧一巻有。左吉
も共に送りぬ。川舟に乗て、酒田の湊に下る。淵庵不玉と云医師の許を宿とす」と書き、「暑き日を海にいれたり最上川」とした。
華女 「涼しさや海にいれたる最上川」。この句は寺島彦助亭(安種亭)のある酒田、吹浦から眺めた最上川下流域の風景を詠んだ句なのよね。
句郎 海風の入る彦助亭への挨拶吟なのかな。
華女 「暑き日を海にいれたり最上川」。この句には挨拶性のようなものが薄れているように思うわ。「涼しさや」と安種亭の涼しさを詠んでいるのに対して「暑き日を」の句は酒田吹浦の夏そのものが表現されているように思うわ。
句郎 「暑き日を海にいれたり」と自然を表現している。「たり」で切れ、最上川と続けた。句中に切れのある一物仕立ての句になった。俳諧の発句ではない一句として独立した句になった。芭蕉は『おくのほそ道』という俳文を旅を終えた後、書き上げた。俳文を書く中で俳諧の発句は俳句になった。
華女 句郎君は俳句という文芸は芭蕉が創造したということが言いたいわけね。
句郎 高校生の頃、国語の授業で俳句は近代になった明治時代に正岡子規が俳句を創造したということを教わった。芭蕉の句は俳句ではなく、俳諧の発句だと教わった記憶がある。しかし、『おくのほそ道』を読み進むうちに高校生の頃、教わったことは間違いのように感じ始めているんだ。
華女 私も高校生の頃よ。国語の時間に俳句は正岡子規が詠んだというようなことを教わったように思うわ。
句郎 正岡子規は日本近代の韻文の創始者のような印象があったが、そうではなく、芭蕉の俳句が日本近代の文学と言えるように感じ始めているんだ。例えば、「山路来て何やらゆかしすみれ草」、この句が今から三百年以上前の句だと思えないような句でしょ。現在の中学生でも十分理解可能な句だと思う。こんな句を読んだ芭蕉はまさに日本近代の文学を創造していると言っていいのじゃないかと考えているんだ。芭蕉の文学は近代の文学だ。