語られぬ湯殿にぬらす袂かな 芭蕉 元禄二年
句郎 「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」、『おくのほそ道』に載せてある句を鑑賞したい。
華女 この句の季語は何かしら。
句郎 季語らしい言葉がないよね。強いて言うなら「湯殿」しか、季語になりそうな言葉はない。現在出回っている歳時記を調べても季語「湯殿」は出ていない。当然だと思うよね。この「湯殿」は出羽三山の湯殿山を意味していると思うからね。地名としての山の名が季語になるとは誰も思わない。
華女 『おくのそ道』に芭蕉の「かたられぬ」の句と曽良の「湯殿山銭ふむ道の泪かな」が載せてあるわよね。この曽良の句にも季語らしい季語がないわよ。
句郎 そうそう、無季の句なのかなと思っちゃうよね。しかし季語はある。江戸時代には「湯殿詣」が夏の季語であった。江戸時代の記録には、陰暦六月の初めから二十日ばかりの間に詣でるというものと、陰暦の四月四日から八月八日までの間に詣でるという二通りがあったようだ。
華女 湯殿山参りが季語になるほど江戸時代には盛んだったということなのね。
句郎 芭蕉のこの句の季語は「湯殿」で季節は夏ということになる。
華女 曽良の句「湯殿山」も「湯殿山」が季語になっているのね。山の名が季語になるということがあるのね。
句郎 湯殿山を含めて羽黒三山は秘密の山だった。修験道の山だったからね。
華女 それが「語られぬ」ということなのね。
句郎 そう、『おくのほそ道』に「惣而(そうじて)此山中の微細、行者の法式として他言する事を禁ず」と芭蕉は書いているから。
華女 「語られぬ湯殿にぬらす」とは何が濡れたのかしら。
句郎 一つは源定信の和歌「おとにだに袂をぬらす 時雨かな槇の板屋のよるの寐覺に」という金葉和歌集にある歌がある。泪で濡れた瞳を袂で拭いたと、いう言葉、「袂をぬらす」を継承していると同時にもう一つの意味を芭蕉は含ませているのではないかと思う。
華女 「湯殿にぬらす袂かな」とは、湯殿山から湧き出る温泉に袂を濡らしたのかなと思ったのよ。そうじゃないのね。秘境の山の秘密に触れた感動で泪が溢れ、袂で目を拭き、袂が濡れたということなのね。
句郎 湯殿山のご神体は古来よりマル秘とされ、見た者は「語る無かれ」 見てない者は「聞く無かれ」の禁忌(タブー)の戒律が厳守されてきていたから、その秘密を見た感動じゃないのかな。
華女 湯殿山のご神体とは、何なのかしら。
句郎 人の肌色をした岩の割れ目から温泉が噴き出している岩全体が湯殿山のご神体なんだ。その岩が女性の下半身に似ているところから、人々は湯殿山を恋の山というようになった。更に湯殿山は羽黒山、月山の奥の院になっている。
華女 もう一つの意味とは、命の誕生ということね。命誕生の秘密に触れたということね。
句郎 人類の繁栄を願った女体信仰が世界中にある。その一つが湯殿山信仰だったということなのかな。生命誕生の秘密は秘密だから語られてきた。