こちらむけ我もさびしき秋の暮 芭蕉 元禄3年
句郎 この句には前詞がある。「洛の桑門雲竹、みづからの像にやあらむ、あなたの方に顔ふり向けたる法師を描きて、これに讃せよと申されければ、 君は六十年余り、予は既に五十年に近し。共に夢中にして、夢の形をあらはす。これに加ふるに、また寝言を以てす。」とある。
華女 「洛の桑門雲竹」とは、何なのかしら。
句郎 、「洛」とは、京都のこと。「桑門」とは、僧侶のこと。だから京(みやこ)の僧侶という意味だと思う。
華女 雲竹とは、お坊さんの名前ね。
句郎 そう。東寺観智院の僧侶のようだ。
華女 あなたの方に振り向けた顔を描いた絵に何か書いてくれと頼まれたのね。
句郎 あなたは六十、私はすでに五十、人生とはまるで夢の中にいるようなものですな。私の夢を形に表してみると、また寝言のようなものになってしまうかもしれません。
華女 芭蕉の寝言、それが「こちらむけ」の句だっ
たということなのね。
句郎 私の方に向き直ってくれませんか。暮行く秋を一緒に眺めませんか。
華女 私も一人、あなたも一人、寂しがっている者同士じっくりお茶でも楽しみましょうと、いうことなのね。
句郎 自分は一人なんだという気持ちをいつも芭蕉は持っていたのかな。
華女 女一人の秋の暮。それは寂しいものよ。子供を連れた女を見るとほんとに羨ましいものよ。
句郎 「こちらむけ」の句が表現した「寂しさ」には孤独があるように感じる。どうかな。
華女 孤独というと、どこか江戸時代のこととは違うような気がするわ。
句郎 そう、孤独というものは近代社会に生きる人間に固有な意識なのじゃないかという気がするよね。
華女 そうよ。封建社会に生きた人々は今より濃密な人間関係の中に生きた人々が多かったように感じるわ。
句郎 誰もが助け合わなければ生きていくことが難しかったということだと思う。だから濃密な人間関係があった。
華女 そうなのよね。働てとしての子供を必要としていたのよね。
句郎 子供がいるということ。この事が孤独を意識することがなかったのかもしれないな。
華女 子供を育てない人が孤独を感じるのじゃないかしら。
句郎 芭蕉は旅に生き、旅に死んだ詩人だといわれているから、妻を持ち、子供を育てることはなかった。だから元禄時代にあっても孤独のようなものを感じたのかもしれないな。
華女 そうなのかもしれないわ。夫も子供も持たない女の寂しさはほんとに深いと思うわ。だからなのよ。女にとって恋愛は男よりもプライオリティーが高いのよ。
句郎 芭蕉は俳諧師だった。江戸時代の俳諧師は、人の道をはずした人だった。と言われる人々の一人だった。
華女 歌舞伎役者はだったんでしょ。
句郎 封建社会の秩序から外れたとして生きた芭蕉だったからこそ、近代社会に生きる人間の孤独を感じた。