醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  919号   白井一道

2018-11-26 15:33:04 | 随筆・小説



 朝茶のむ僧しづかさよ菊の霜
 
 朝茶のむ僧静(しづか)也菊の花  元禄3年  芭蕉



句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』には、この二つの異形の句が紹介されている。華女さんはどちらの句形の方がいいと思う。
華女 そうね。私は後の方の句形がいいと思うわ。
句郎 この句には「堅田祥瑞寺にて」と前詞がある。
華女 芭蕉は近江が好きだったのよね。
句郎 琵琶湖は美しいところだと子供の頃、よく大人たちが話していたことが耳に残っているな。
華女 なにか、琵琶湖に対する憬れのようなものが日本人にあるのかしら。
句郎 私も一度大津に行ったことがあるんだ。街を歩いて、ここに住んでみたいと思った街の一つだったかな。澄んだ空気観が気に入った。京都から近いということも気に入った理由の一つかな。
華女 芭蕉が膳所の義仲寺に葬られているところからも心が休まる所が近江だったということなのよね。
句郎 「朝茶のむ」。この句を読むと芭蕉が理想としていた生活とは、このよ
うな僧侶の生活だったのかなと思うな。
華女 朝の僧侶はまず何よりも勤行なんでしょ。
句郎 そうかな。まず朝起きると僧侶としての正装をする。袈裟を着け、経を持ち本堂にいく。燈明を灯す。真冬であっても戸をあけ放す。鐘を打ち、経をあげる。
華女 まさに勤行なのね。
句郎 勤行を通じて心の中が澄み渡っていく。本坊に帰り、掃除する。掃き掃除、拭き掃除、庭掃除、掃除が終わると朝食をいただく。その後、寺務所に行き、お茶をいただく。
華女 お寺でお茶をするのは、朝の一仕事が終わってからなのね。
句郎 寺によっていろいろ違うかもしれないが、和尚さんの場合は、これに近いと思うよ。
華女 禅宗のお寺は、ほとんど男だけの世界よね。
句郎 白粉の匂いのない世界かな。朝の勤行で迷いを吹っ飛ばし、掃除で心の穢れを掃き清め、お茶をいただく。
華女 「朝茶のむ僧静也」とは、浄土の世界にいるということが表現されているということなのかしら。
句郎 菊の花咲く浄土にいる心地を芭蕉は僧侶の姿にかんじたのかもしれないな。
華女 お茶をいただく僧侶の姿に静かさを芭蕉は感じたということね。
句郎 この世は穢土(えど)、喧噪と汚れに満ちている。掃き清められたお堂、塵一つない板の間、庭には菊の花。風の音がかすかにする。この静かさに芭蕉は浄土の世界を想像したのかもしれないな。
華女 現実の目の前の世界は静かな世界とは程遠いところにいても芭蕉の句を読み、心に静かな浄土の世界を想像することは可能なのよね。
句郎 文学とは、そのようなものなのだろうと思うな。目の前の現実から離れることができる。句を読むということによって。
華女 新たな心で汚れた現実に世の中を生きていくことができる。それが文学というものなのかもしれない。
句郎 芭蕉の句は文学になっているということなのかもしれない。
華女 文学になっていない句もあるということなのね。