きりぎりすわすれ音(ね)になくこたつ哉 芭蕉 元禄3年
まだキリギリスが鳴いているな。こんなに寒くなったのに。どうしたことだ。今年は暖冬なのかな。
句郎はまた読書を始めた。このところ句郎はヘーゲルの『法の哲学』を読んでいる。読み始めて四、五日になる。定年退職後、読み始めたのである。三十年近く前に購入した本の一冊である。今まで「つん読」していたのだ。たまに背表紙を眺め、読むことはあるのだろうか、と思ったりして、読み始めることのなかった本の一冊である。どうした気持ちの変化が起きたのか自分にも分からず手に取り読み始めると面白い。このところ毎日読書する愉しみを味わっている。
炬燵に入り読書すると若かった頃が思い出されて窓を眺めては空想に耽り、若かった頃と同じように鉛筆を持ちページをめくる。
弱々しいキリギリスの鳴き声がする。まだ鳴いていることに気づいた。どうしたんだ元気がないな。
暑かった夏、せっせと働いていた蟻たちは巣穴にため込んだ食べ物に満足し、冬を乗り越えようとしているのに、キリギリスは食べ物のあふれた夏をきれいな声で鳴き、楽しんでしまったつけに苦しんでいる。イソップの童話を句郎は思い出していた。
現実にあるものは合理的なものである。合理的なものは現実的なものである。『法の哲学』にある有名な言葉をかみしめた。
月日の流れは速い。大河の流れはゆったりとしているが流れの中に足を入れてみると水の流れの速さに驚く。