醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  916号  白井一道

2018-11-22 12:27:32 | 随筆・小説


  病鴈の夜さむに落て旅ね哉  芭蕉  元禄3年


句郎 この句は俳諧の古今集といわける『猿蓑』に載せられている。岩波文庫『芭蕉俳句集』は「病鴈」に「びょうがん」とルビを振っている。一方其角編の芭蕉追善集『枯尾花』にある「病鴈のかた田におりて旅ね哉」を載せ「病雁」を「びょうがん」ではなく「やむかり」と読ませている。
華女 「病鴈」の音読みと訓読みの違いね。
句郎 私は初め「病雁」を「やむかり」と読み、この句を覚えた。後に「び
ょうがん」と読む読み方を知った。「びょうがん」より「やむかり」の方が落ち着くように感じている。
華女 そうね。私も「やむかり」の方が大和の言葉、日本語っぽさがあっていいように思うわ。読み方のことで思い出すのは「蚤虱馬の尿する枕もと」があるわ。
句郎 「尿する」を「シトする」と読むのか、それとも「バリする」と読むのかということかな。
華女 そうよ。当時の東北に住む農民たちは馬が「バリする」と話してい
たということなんでしょ。
句郎 この句は確かに「バリする」と読んだ方が俳句になっていると感じるな。
華女 「シトする」じゃ、馬の尿の迫力が出ないわ。「シトする」じゃ、女の子のオネショになってしまうわ。
句郎 「病雁の」の句は芭蕉自身も自慢の一句のようだったし、また当時の弟子たちも現代の読者も秀句の一つとして受け入れている。
華女 この句を芭蕉は近江八景の一つ堅田で詠んでいるのよね。
句郎 「堅田にて」と前詞があるので、芭蕉は堅田で詠んでいるということだと思う。
華女 近江八景・堅田落雁は画題にもなる有名な風景なんでしょ。この「落雁」の風景を詠んだ句が「病雁の」の句ということなのよね。
句郎 「落雁」という和菓子の起源は堅田のこの風景なんだろうからな。
華女 日持ちの良い和菓子だったので人気が出たみたいよ。
句郎 中天から連なった雁の群れが舞い降りる姿は、晩秋の琵琶湖の絶景だった。「落雁」とは、雁が一列に連なって、ねぐらに舞い降りる様子を言う。晩秋から冬にかけての琵琶湖の夕暮時の風物詩であったことから堅田落雁は近江八景の一つになったのかな。
華女 広重も堅田落雁を描いているわね。描きたい気持ちにさせる風景なのよ。だから芭蕉にも句を詠みたくさせる風景なんじゃないのかしら。
句郎 列から離れる一羽の雁を見た芭蕉の想像力が働き、句が口から迸ったということなのかもしれないな。
華女 晩秋の夕暮れは一気に寒さが身に沁みてくるわね。
句郎 仲間と一緒に飛ぶことができなくなった。体の調子が悪くなったに違いない。晩秋の孤独感を表現した句が湧いたのではないかと思う。
華女 この句を芭蕉が詠んだ時、芭蕉自身体の調子を壊していたと言われているわ。
句郎 芭蕉は『おくのほそ道』の旅を終えてからというもの、自分の死を意識するようになっていたのではないかと思う。