雲の峰幾つ崩れて月の山 芭蕉 元禄二年
句郎 「雲の峰幾つ崩れて月の山」、『おくのほそ道』に載せてある句を鑑賞したい。
華女 この句の季語は何なのかしら。「月」でいいのかしらね。
句郎 「山の月」だったら季語は「月」ということになるのかもしれない。この句は「月の山」になっている。「月の山」とは、出羽三山(でわさんざん)の一つ、月山のことを言っている。
華女 出羽三山とは、山形県村山地方・庄内地方に広がる月山・羽黒山・湯殿山のことを言うのよね。
句郎 そう、日本古来の山岳信仰をもとに仏教が融合した神仏習合の権現信仰が修験道のようだ。その本場が出羽三山なのかな。
華女 出羽三山はパワースポットなのよね。だから今でも若い女性に人気のある山みたいよ。
句郎 江戸時代にあっては「西の伊勢参り、東の奥参り」といわれていたようだ。その「東の奥参り」とは、出羽三山だったようだ。一生に一度は参りたいと言われていた。
華女 江戸時代の庶民にとって神社や寺参りは数少
ない娯楽だったんでしょう。信仰は同時に遊びでもあったんだと思うわ。
句郎 芭蕉の陸奥の旅『おくのほそ道』は当時にあっては冒険の旅であった。また別の見方をすれば信仰に基づいた遍路の旅、巡礼であった。
華女 芭蕉は出羽三山への宗教登山をしたのね。修験道の山岳信仰というと熊野三山とも言わているわよ。
句郎 熊野にもまた日本全国にある熊野神社の総本社である熊野本宮大社がある。今も修験道が行われている。
華女 芭蕉が月山に宗教登山したときのことを詠んだ句が「雲の峰幾つ崩れて月の山」ということなのね。
句郎 そのようだ。この句は俳諧の発句ではないようだ。自立した俳句だと言えるように思う。
華女 深山幽谷の神仏の世界に入ったという感慨を詠んでいるということね。
句郎 「雲の峰」とは、入道雲のことを言うようだから、いくつもの入道雲、雲の峰が崩れていくのを越え権現様のいる世界に入った。そこは月の山だった。
華女 雲の上の神仏のまします世界を詠んだということなのね。
句郎 「雲の峰」という季語には光の輝きがあるでしょ。その光の輝きに昔の人々は神の世界を感じたと同時にそこは死の世界でもあった。森敦は小説『月山』の中で「長らく庄内平野を転々としてきた「私」にとって、この山はまず死者の行くあの世の山として捉えられる。
月山が、古来、死者の行くあの世の山とされていたのも、死こそはわたしたちにとってまさにあるべき唯一のものでありながら、そのいかなるものかを覗わせようと せず、ひとたび覗えば語ることを許さぬ、死のたくらみめいたものを感じさせるためかもしれません。」とね。
「雲の峰」の彼方は神の世界であると同時に死の世界でもあった。
華女 この「雲の峰」の句は芭蕉の宗教登山をした経験が生んだ句なのね。
句郎 芭蕉にとっては、初めての月山登山、神秘体験に基づく句だったということなのかな。