醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  909号  白井一道

2018-11-13 07:12:27 | 随筆・小説


  塩鯛の歯ぐきも寒し魚の店(たな)  芭蕉  元禄5年


句郎 今日は元禄五年、意専(遠雖)宛書簡に載せてある句「塩鯛の歯ぐきも寒し魚の店」、この句について考えてみたい。芭蕉の句の中でも凄さを感じさせる句の一つじゃないかな。
華女 私もそう思うわ。干からびた鯛の歯がぐさっと心に食い込んでくるように思うわ。寒風が吹き抜けていく魚屋の店先が瞼に浮かぶわ。
句郎 この句にはリアリズムがある。写生では表現できないリアル感がこの句にはあるなぁー。
華女 芭蕉の最高傑作の句だとも言えるように私も思うわ。冬の寒さをこのようにリアルに表現している句を読んだことがないわ。
句郎 芭蕉はリアリストだった。このリアリズムに芭蕉の句の近代性があるように感じているんだ。
華女 殺風景な魚の棚に魚屋の寒さがあるのよね。
句郎 服部土芳の俳論書『三冊子(さんぞうし)』の中で紹介されている。「此句、師のいはく、心遣はずと句になるもの、自賛にたらずと也」。魚屋の店先を見て、ふっと言葉があふれ出た。自慢できるような句ではありませんと、芭蕉は述べている。「鎌倉を生て出けん初鰹、といふこそ、心のほねおり折、人のしらぬところなり」と。「鎌倉を」の句には苦吟した。人知らぬ苦労をしたと芭蕉は述べている。腹の痛くなるような苦しみをした句ではない。名句というのはふっと口から出てきた句が名句になると芭蕉は言っているのかもしれないな。
華女 日頃、お腹の痛くなるような句を詠む苦しみをしている人が言える言葉なんじゃないのかしらね。俳句初心者が口からふっと出した言葉が句になることは絶対にないと私は思うわ。
句郎 将棋のプロが何も考えずに指した手にアマはたちまち参ってしまう。訓練を積んだ人にはかなわないということなんだ。芭蕉は骨身を削って句を詠んできた結果ふっと口から吐いた言葉が句になったということなんだ。
華女 芭蕉は努力の人だったということね。
句郎 また『三冊子』には次のようなことも書かれている。「又いはく、猿の歯白し峰の月、いふは、其角也」。蕉門第一の門弟、其角の句「声枯れて猿の歯白し峯の月」に刺激されて詠んだ句だとも芭蕉は言っていたと弟子の土芳は書いている。
華女 枯れた猿の鳴き声と月光との取り合わせの句ね。分かるわ。月明かりの青い光線と枯れた猿の鳴き声よね。「猿の歯白し」。この言葉に師としての芭蕉は刺激を受けたんでしょうね。
句郎 きっとそうだと思う。「塩鯛の歯ぐきは我老吟也」と芭蕉は述べていたと土芳は書いている。
華女 俳諧とは座の文学だと言われているわ。座とは、俳諧の仲間がいるということ。仲間の句に刺激され、また自分の句が仲間を刺激する。このような人間関係から生まれてきた文学が俳諧というものだったいうことね。
句郎 芭蕉の句に刺激を受けた弟子の句が師の句作を刺激する。俳句とは一人で詠むものではないということなのかもしれないな。
華女 きっとそうなのよ。その俳諧の伝統が今でも生きているのよ。それが句会というものなのよ。