醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  920号  白井一道

2018-11-27 16:13:56 | 随筆・小説


 しぐるゝや田のあらかぶの黒む程  芭蕉  元禄3


句郎 この句には「旧里(ふるさと)の道すがら」という前詞がある。
華女 『おくのほそ道』の旅を終え、元禄三年には故郷伊賀上野に芭蕉は帰郷しているのね。
句郎 「しぐるゝ」という冬の季節感のもつ情緒が表現されていると思うな。
華女 「目も見えず涙の雨のしぐるれば身の濡れ衣はひるよしもなし」と好古朝臣が詠んだ和歌が後撰和歌集にあるのよ。「しぐるる」という言葉と「濡れ衣」という言葉が合わ
さり、醸しだす情緒があるように感じるのよ。
句郎 しっとりへばりつくイメージかな。自分の力ではどうにもならない。ただじっと耐えていくということなのかな。
華女 「しぐるる」という言葉は京の都の言葉だったと思うわ。「しぐれ」とは、晩秋から初冬にかけて、晴れたかと思うと曇り、曇ったかと思うと日差しが出るような時に降ってはすぐ止むような雨を言うのよね。
句郎 北西の季節風に流された雲が日本海側から太平洋側へ移動する際に盆
地で雨を降らせる。京都盆地の北山に降る時雨が有名だった。また、時間帯によって朝時雨や夕時雨という表現もあったようだからね。
華女 京都北山に晩秋から冬にかけて降る雨を時雨といったのよ。きっとね。
句郎 京都北山に降る時雨の情緒が「しぐるる」という季語にはあるということなのかな。
華女 山頭火の詠んだ時雨の句にも和歌に詠まれた時雨の情緒や季節感が詠みこまれているように感じるわ。例えば「うしろすがたのしぐれてゆくか」「老いて死す一年一年時雨かな」、「旅人も貧しや時雨石の屋根」「旅人や小家をぬうて時雨かな」ね。
句郎 定めなき「しぐれ」に人生の無常迅速の美意識がこめられているということかな。
華女 「しぐるる」という言葉に籠めた古人の思いがあってこそ、「しぐるゝや田のあらかぶの黒む程」という句が文学になったということだと思うわ。
句郎 芭蕉が子供の頃見た古里の風景を発見したということかな。
華女 稲の新株を刈り取った後の株が雨に濡れて黒ずんでいるのを見て芭蕉は子供だった頃を思い出したんだと思うわ。
句郎 子供だった頃と変わらない古里の風景に感動していた。
華女 しぐれている刈り取った稲株がしっとりと濡れ黒ずんでいる。ここに芭蕉は時雨の美意識を発見したのだと思うわ。
句郎 子供の頃、見慣れていた黒ずんだ稲株に懐かしさを感じたのかもしれないな。
華女 私たちは三百年前に芭蕉が感じたことを今感じることができるということが凄いことだと思うわ。
句郎 句を詠み、書いて残すということを積み重ねることによって人間の心の世界が広がっていくということなんだと思う。
華女 芭蕉は和歌の世界が創造した言葉の世界を継承し、発展させ、それをまた現代の俳人にまで影響しているということは凄いことね。
句郎 安住敦の句「しぐるるや駅に西口東口」。この句にある「しぐるるや」の言葉には芭蕉が付け加えた意味も含まれていると思うな。