能なしの眠たし我をぎやうぎやうし 芭蕉
句郎 『嵯峨日記』に載せてある句のようだ。
華女 京、嵯峨野、落柿舎で詠んだ句なのね。
句郎 芭蕉は元禄4年、落柿舎に迎えられ、ここに一人で住んでいた。昨夜芭蕉は一人酒を楽しみ、発句でもと蝋燭の灯りの下で苦吟していたのかもしれないな。
華女 読んですっーと納得できる句よね。
句郎 芭蕉は自分が分かっていたように感じるな。
華女 そうね。私もそう思うわ。自分を自分が満足している人って、案外少ないように思うわ。
句郎 自分が自分を満足して受け入れているときが生きているという思いがあるのじゃないのかな。
華女 自分が自分をこれでは駄目だと感じるときがあるのよ。もっと頑張らないと駄目だと思う時があるのよね。
句郎 そう思う時がある一方で駄目な自分をニコニコしながら受け入れる時もまたあるのじゃないかな。
華女 ニコニコ笑うのではなく、冷ややかにニヤッとして自分を肯定的に受け入れる時もあるわ。
句郎 自分身体的状況を素直に受け入れられる状況にいるときの人間の在り方を表現した句が「能なしの」なのじゃないかな。
華女 自由ということよね。縛られていない嬉しさのようなものを芭蕉は表現したかったのかもしれないわよ。
句郎 「能なしの」者が自堕落に惰眠を貪っている。惰眠を貪る自分に対してもう一人の自分がそんなにいつまでも寝てていいのと、言っている声は行々子の鳴き声だ。
華女 農家の次男に生まれた芭蕉にとって朝寝は憧れの贅沢だったのよね。
句郎 農家の朝は早い。日の出とともに起き、食べる時間も惜しんで農作業に勤しむ。そうしなければ生活が成り立たなかった。長飯、長糞、馬鹿な者と言われて忙しく体を動かし続けることを農民は強制されていた。
華女 農作業も満足に出来ないものが朝、行々子の鳴き声を寝床で聞いているのよね。
句郎 俳諧師はいいなぁーと思うと同時に何か後ろめたい気持ちもあったのじゃないのかな。
華女 芭蕉は農民身分の生まれから生涯逃れることができなかったのよ。
侘助 正直、勤勉、質素な生活が身に付いていたんだろうな。
華女 それが農民の資質というものなんじゃないの。
句郎 「眠たし我をぎょうぎょうし」と芭蕉は詠んでいる。「我を」と言っている。我を咎めるぎょうぎょうしなんだ。
華女 この怠け者!、この怠け者!ということね。
句郎 このぎょうぎょうしの鳴き声は芭蕉の内心の声でもあった。