醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  977号  白井一道

2019-01-24 15:42:24 | 随筆・小説



  芭蕉『嵯峨日記』より「一日一日麦あからみい啼く雲雀」  元禄4年


句郎 「一日(ひとひ)一日麦あからみて啼く雲雀」『嵯峨日記』に載せてある。芭蕉は旧暦の四月二三日(新暦五月二〇日)、落柿舎でこの句を詠んでいる。今栄蔵著『芭蕉年譜大成』によるとこの日は「終日来客なし」とある。この日、芭蕉は次の6句を詠んでいる。
「夏の夜や木霊に明くる下駄の音」
「手を打てば木霊に明くる夏の月」
「竹の子や稚(おさな)き時の絵のすさび」
「麦の穂や泪に染めて啼く雲雀」
「一日一日麦あからみて啼く雲雀」
「能なしの眠たし我を行々子」
  来客のない一日、嵯峨野を歩き、発句をひねって楽しんだ。その成果が以下の6句だった。
華女 落柿舎の客人であった芭蕉の接待をしてくれる人はいたのかしら。
句郎 いたのじゃないのかな。去来は医者だったからお金持ちだったんじゃないのかな。
華女 落柿舎は去来の別邸だったんですものね。
句郎 朝ごはんの前に芭蕉は落柿舎のまわりを歩き回ったんじゃないのかな。落柿舎のまわりに人通りがあることを知り、昨晩足音を聞いたことを思い出し詠んだ句が「夏の夜や木霊に明くる下駄の音」だったのかもしれないな。
華女 林の中の静かさが表現されているわね。
句郎 「手を打てば木霊に明くる夏の月」。この句も夏の夜の静かさかな。
華女 「木霊に明くる」という言葉が芭蕉は気に入ったのね。
句郎 「木霊に明くる」と言ったところに芭蕉の手柄があるように思う。
華女 そうよ。普通だったら、擬音語を書くかもそう。それを下駄の音が木霊になると述べ、静かな夜を芭蕉は表現しているのよ。
句郎 嵯峨野には大きな竹藪が江戸時代からあったんだな。竹藪の中の細い道を歩き回り、芭蕉は子供の時に竹の子を写生したことを思い出している。
華女 「竹の子や稚(おさな)き時の絵のすさび」ね。竹の子の絵を夢中になって書いて遊んだ子供の頃を芭蕉は思い出しているのね。
句郎 芭蕉は絵を描いたり、見たりするのが好きだったんだろう。多分ね。だから画賛の句もある。
華女 「枯枝に烏のとまりたるや秋の暮」が有名な画賛の句ね。
句郎 芭蕉は発句と絵とに共通ものがあるということに気づいていたのかもしれないな。
華女 私は確かに俳句と絵には共通するものがあると思うわ。何を表現するかということよ。
句郎 絵も俳句も表現するものは一つということかな。
華女 そうなんじゃないの。一つのものなのよ。一つのもの、一つの事を表現するのよ。「麦の穂や泪に染めて啼く雲雀」。この句は「一日一日麦あからみて啼く雲雀」の句の発案だったのかしら。
句郎そうなんじゃないのかな。「麦の穂や」の句を推敲し、「一日一日麦あからみて啼く雲雀」になった。
華女 「麦の穂や泪に染めて啼く雲雀」。この句は何を詠んでいるのかしら。
句郎 旧暦でいう4月23日はすでに夏、麦の穂は実っている。泪に染めて雲雀は何を啼いているのかというと春が行ってしまったということのようだ。だから季語「麦の穂」を詠んでいないことを芭蕉は気づいて「一日一日麦あからみて啼く雲雀」としたんじゃないのかな。
華女 「一日一日麦あからみて啼く雲雀」。この句は雲雀を詠んでいるのよね。
句郎 雲雀に焦点を絞った句が「一日一日」だったんだろうね。
華女 「永き日も囀たらぬ雲雀かな」。雲雀を詠んだ句では、この句の方が雲雀を詠んでいるように思うわね。
句郎 今では、「永き日」も「囀り」、「雲雀」すべて季語になっているね。
華女 そうであっても全然気にならないわね。季重なりなんて感じないわ。「一日一日」の句は晩春の頃の昔の嵯峨野が偲ばれて素晴らしい句だと思うわ。麦の実りを喜ぶ気持ちが感じられるわ。