五月雨や色紙へぎたる壁の跡 芭蕉 元禄4年
句郎 『嵯峨日記』に載せてある。元禄4年5月4日、芭蕉は落柿舎を後にする。『嵯峨日記』に次のように書いている。「宵に寝(いね)ざりける草臥(くたびれ)に終日臥(ふす)。昼より雨降止ム。明日は落柿舎を出んと名残をしかりければ、奥・口の一間一間を見廻りて、」
華女 半月近く、世話になった落柿舎に対する愛着が芭蕉にはあったのね。
句郎 行く春の京・嵯峨野を味わい尽くした芭蕉だった。
華女 旧暦の5月4日というと、新暦になおすといつになるのかしら。
句郎 調べてみると1691年5月4日というと、5月31日になるようだ。
華女 この句にある五月雨は梅雨のことと理解していいのね。
句郎 梅雨の頃の季節感が表現されているように感じるな。
華女 崩れた土壁を補修するべく色紙を押し当てていたのよね。侘しい家屋を思い描くわ。
句郎 初め、この句のどこに魅力があるのか、分からなかった。『嵯峨日記』にある言葉を読み、一気に想像力が豊かになった。芭蕉は土壁がこれ以上崩れちゃまずいと思って色紙を押し当てた。その色紙を落柿舎を出るにあたって、剥がしてみるとその壁の跡に自分が半月ばかり世話になった跡を発見した。
華女 ささやかな自分の歴史を発見したということなのよね。
句郎 そう、そこに梅雨寒のような足跡を発見した。その足跡に対する愛着と同時に侘しさというか、寂しさのようなものを自覚したということなんだろう。
華女 五月雨と色紙へぎたる壁の跡という二つの言葉が共鳴し、読者に世話になった家を出ていく者の気持ちが伝わってくるのよ。
句郎 二つの事物を投げ出すことによって人間の気持ちのようなものを表現する文芸を芭蕉は創造したということなんだろうな。
華女 このよう句を姿先情後の句というらしいわよ。
句郎 姿とは具体的な事物を述べて人の気持ちを表現するということなのかな。
華女 俳句が文学である以上、人間の心を表現するものだと思うわ。
句郎 庶民の平凡な日常生活の中の気持ちを表現した。
華女 そうよ。土壁がくずれそうになっているから色紙を押し当て、これ以上崩れないようにした。これは貧しい庶民の日常にある目に付くできごとよ。私の育った家にも土壁の上に新聞紙や広告が押し当てられていたわ。
句郎 五月雨と色紙が押し当てられてある部屋というと薄暗さと肌寒さのようなものを感じるな。
華女 日当たりの悪い薄暗さよね。でもそこに人の温もりもあるのよ。
侘助 今まで自分の肌になじんだ温もりが色紙を剥ぐと冷めていく。この肌寒さがこの句にはあるということかな。
華女 他人が見たら侘しく見えるものであっても自分にとっては、温もりのあるものがあるのよ。
句郎 新聞紙や広告の紙が押し当てられた壁を見慣れると愛着が湧いてくる。その愛着が失われる寂しさがあるな。
華女 この怠け者!、この怠け者!ということね。
句郎 このぎょうぎょうしの鳴き声は芭蕉の内心の声でもあった。