粽(ちまき)結ふ片手にはさむ額髪 芭蕉 元禄4年
句郎 『猿蓑』に載せてある。元禄4年5月26日に詠んでいると『芭蕉年譜大成』にある。凡兆宅で『猿蓑』編集会議が開かれていた。この席上、物語の句・故事の句も必要だなと芭蕉は述べ、詠んだ句が「粽結ふ片手にはさむ額髪」と「雪散るや穂屋の薄の刈り残し」であったと書いている。
華女 甲斐甲斐しく働く庶民の娘が表現されているわ。郷里、伊賀上野の農家で昔、見た風景を思い出し、詠んだ句なのね。
句郎 「雪散るや穂屋の薄の刈り残し」。この句には「信濃路を過ぎるに」と前詞がある。貞亨5年の『更科紀行』の折りの記憶をもとに詠んだ句なのかもしれない。
華女 嘱目吟ではなく、記憶によって詠んでいる句が芭蕉にはあるのね。
句郎 実際、見た風景、景色に触発されて詠むということが基本なのだろう。何年か前に見た風景、景色が思い出されて詠んでいる場合もあるのじゃないのだろうか。
華女 「雪散るや穂屋の薄の刈り残し」にある「穂屋」とは、何かしら。
句郎 「穂屋」とはススキの穂で作った神の御座所をいうようだ。信州諏訪地方に穂屋を作る風習があった。
華女 『更科紀行』は秋じゃなかったかしら。「さらしなの里、をばすて山の月みむこと」と書き出されている紀行文よね。雪が散ることはなかったんじゃないかしら。
句郎 実見した風景ではないとしたら、芭蕉の想像の産物かな。
華女 心象風景というものなんじゃないのかしら。
句郎 「雪散るや穂屋の薄の刈り残し」の風景は心象風景か。山国の冬の風景が見事に表現されているように思うな。
華女 私もそう思うわ。「信濃路を過ぎるに」という前詞が想像力を刺激するのよね。この寒さがいいのよ。寂寥感かな。
句郎 背筋を貫いていく寒さかな。生きる人間の営みの後姿かな。
華女 「粽結ふ片手にはさむ額髪」。この句は初夏の句ね。
句郎 「雪散るや」の句は農民の生活、労働の後の風景を詠んでいる。「粽結ふ」の句は農民なのか、町人なのかはわからないが、働いている姿を詠んでいる。
華女 「粽結ふ片手にはさむ額髪」。この句が詠んでいる女性は若い。そのようなイメージがあるわ。「片手にはさむ額髪」。この言葉が醸すイメージが若いお母さんなのよ。柔らかな片手が忙しく動き回っているイメージを喚起させるのよね。
句郎 「雪散るや穂屋の薄の刈り残し」。この句を読むとフランス、バルビゾン派の画家、コローやミレーの絵を見ているような気持ちになるな。畑で働く農民の姿を風景として描いている。そのような視線を感じる。
華女 「粽結ふ片手にはさむ額髪」。この句の場合は、クールベの絵になるのかしら。
句郎 「石割人夫」かな。石切り場で働く人を書いたクールベの絵がある。生きるために働く人を描いている。
華女 士農工商の「士」ではない「農工商」身分の人々を表現しているわ。
侘助 人は皆、美しいものが好き。封建性社会にあって一番美しい人、その人はヨーロッパにあったは神様だった。イエス・キリストやマリヤ様だった。日本では仏様やお殿様だった。だから源頼朝の肖像画などは実に美しい男として表現されている。だから女性は皆、頼朝は大変な美男子だと思っている。
華女 私も神護寺の頼朝の肖像画を見て、綺麗な人だったんだと惚れ惚れとして見た経験があるわ。
句郎 コローやミレー、クールベが庶民を描いたように芭蕉は公家や武士ではなく、平民の生活を詠んでいる。ここにヨーロッパ近代社会が生んだ美術と同様なことを日本では文学の世界で芭蕉は平民、庶民の生活の中に人間の真実を発見した。
華女 そこに芭蕉の近代性があると言いたいわけね。