入る月の跡は机の四隅哉 芭蕉 元禄六年
この句には、「東順伝」という前詞がある。其角の父、東順への追悼句として芭蕉は詠んでいる。東順氏愛用の机を通して死者への思いを芭蕉は詠んでいる。
其角の父は医師であった。愛用していた机が部屋の中に残されているのを見て芭蕉は詠んでいるのだろうか。月の光が主の居なくなった机の四隅を照らしている。
追悼句とはこのような句を言うのだと教えられるような句だ。読者はこの句を読み、心の中に静かさが広がっていくことを感じる。この静かさが追悼するということなのだろう。
東順氏が愛用した机に死者の魂を芭蕉は発見している。すべての人はいつか死ぬ。しかし死者の思い出は生きている人の心の中に生きている。芭蕉の心の中に東順の生き生きとした姿がよみがえっている。「机の四角哉」と詠んだ所に芭蕉の手柄がある。