醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1107号   白井一道

2019-06-27 11:57:16 | 随筆・小説



 今日の新聞記事から「差別に苦しめられる人々」

 
 差別は人間を殺す。人は人の中でしか生きることができないにも、かかわらず人は人の中で差別を生み、人を殺す。日本最初の人権宣言である宣言が1922年に出されてからおよそ百年近くになるが未だに差別に怯え続ける人々がいる。今なお宣言を読み、この精神を学び、継承していかなければならない。
 宣言
全國に散在する吾が特殊民よ團結せよ。
長い間虐(いじ)められて來た兄弟よ、過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々によってなされた吾らの爲の運動が、何等(なんら)の有難い効果を齎(もた)らさなかった事實は、夫等(それら)のすべてが吾々によって、又他の人々によって毎(つね)に人間を冒涜されてゐた罰であったのだ。そしてこれ等の人間を勦(いたわ)るかの如き運動は、かえって多くの兄弟を堕落させた事を想へば、此際(このさい)吾等(われら)の中より人間を尊敬する事によって自ら解放せんとする者の集團運動を起せるは、寧ろ必然である。
兄弟よ、吾々の祖先は自由、平等の渇仰者(かつごうしゃ)であり、實行者であった。陋劣(ろうれつ)なる階級政策の犠牲者であり、男らしき産業的殉教者であったのだ。ケモノの皮を剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥ぎ取られ、ケモノの心臓を裂く代價(だいか)として、暖かい人間の心臓を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの夜の惡夢のうちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸(か)れずにあった。そうだ、そして吾々は、この血を享(う)けて人間が神にかわらうとする時代にあうたのだ。犠牲者がその烙印(らくいん)を投げ返す時が來たのだ。殉教者が、その荊冠(けいかん)を祝福される時が來たのだ。
吾々がエタである事を誇り得る時が來たのだ。
吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦(きょうだ)なる行爲によって、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならぬ。そうして人の世の冷たさが、何(ど)んなに冷たいか、人間を勦いたわる事が何であるかをよく知ってゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃(がんぐらいさん)するものである。
は、かくして生れた。
人の世に熱あれ、人間(じんかん)に光あれ。
— 1922年3月3日、京都市・岡崎公会堂にて宣言

「父は死んだ」隠し続けた兄弟の苦悩  神戸新聞社 - 神戸新聞NEXT - 2019年6月26日

 親父(おやじ)は死んだ。本当は生きているのに、うそをつき、ごまかして生きてきた。
 今年2月、大阪市内で開かれた集会で、徳島県に住む柊木(ひいらぎ)博史さん(71)、茂さん(68)=いずれも仮名=が半生を振り返った。
 兄弟そろって、ハンセン病家族訴訟の原告に加わった。父、母、兄弟3人。山村で鶏を飼い、野菜を育てながら暮らした。貧しかったが、食卓はにぎやかで幸せだった。
 父の体に異変があり、1959年5月、高松市の国立療養所大島青松園に収容される。以来、一家の人生が大きく変わった。博史さん小学6年、茂さん小学3年のときだった。
 周囲の態度は一変。友達に避けられ、学校でのけ者にされた。2年後、自宅が台風の被害に遭ったのを機に引っ越した。2人は「心底ほっとした」という。母に諭され、この頃から周囲に「父は死んだ」と話すようになった。
弟の茂さんは就職しても親の話題を避けた。「病気がばれたら、たちまち仕事を失う」。恐怖感と隣り合わせだった。妻にも隠して結婚した。「隠し続けることが本当につらかった」と語る。妻には一緒に療養所を訪れたとき、打ち明けたが、妻の両親には言い出せなかった。今も妻の実家の墓参りに行くたびに、手を合わせ、うそをついていたことをわびる。
 85年、長男の博史さんが二世帯住宅を建て、父を引き取った。だが、病気は絶対に知られてはいけない。父は近所づきあいをすることはなく、2階で過ごした。住民票は大島青松園のままだった。住所を移して、役所の人に病気がばれてしまう恐れがあるからだ。
 病気になっても我慢し、受診が必要なときは、車と船を乗り継いで療養所に向かった。2005年、父は体調を崩し、大島青松園で他界する。87歳だった。
 父は遺体となって、車で帰ってきた。車に大島青松園の文字はなく、博史さんはほっとすると同時に、感謝した。
 最後まで父の病気を隠し通した。「一番つらかったのは、もちろん親父。でも家族も同じように偏見差別に苦しんできた」。博史さんは自分も死ぬまで背負っていかなければならない、と思っている。
 弁護団の大槻倫子弁護士(兵庫県弁護士会)は、家族の病気が知られ、崩壊してしまったケースをいくつも見てきた。差別被害は今日に続き、若い世代にも連鎖していると実感する。
 昨年12月、熊本地裁でこう意見陳述した。「結婚後に親の病歴が知られ、たちまち離婚に至るケースが後を絶たない。予想をはるかに超えた現実だ」
 対する国は、隔離政策による家族への被害を否定する。家族561人が国に謝罪と賠償を求める訴訟の判決は28日、熊本地裁で言い渡される。(中部 剛)