醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1092号   白井一道

2019-06-12 13:12:06 | 随筆・小説



   前近代社会にあっては、儀式が重要な役割を果たした

 近代社会は儀式を廃止した。なぜ近代社会は儀式を葬り去ろうとしたのか。儀式には呪術性がある。この呪術性を近代精神は排除しようとした。
 公立高等学校にはまだ儀式の呪術性が残存している。例えば、公立高等学校の入学式には呪術性が残存している。入学式には入学許可候補者呼名がある。担任となる教師が一組、誰々と呼名していく。体育館の賓段には国旗、県旗、校旗が掲げられ、その下に校長が正装し、花の飾られた机の前に起立している。八組までそれぞれの担任予定者が担当する組の生徒の呼名を終わると最後になった教諭は以上320名と言う。校長は呼名を聞き終わるとこれらの者を何々高等学校への入学を許可すると発する。校長の発言によって生徒は入学許可候補者から何々高等学校生徒になる。入学許可候補者の呼名は入学式最大のイベントである。校長の肉声が入学許可候補者から何々高等学校生徒の身分を付与する。ここに儀式の持つ呪術性がある。それに比べて卒業式における呪術性は廃れてきているようだ。つまらない校長の式辞を廃止する傾向がみられるようだ。
 年号と言うものも呪術の一つであろう。何一つ社会のありようが変わりようもないにもかかわらず、平成から令和へと年号を変えた。大手マスコミが大騒ぎしただけのことであるにもかかわらず、何か新しい時代が始まったかのような意識を国民に持たせる役割をしている。
 年号と言う何でもないものに神秘性を付与する儀式が行われ、年号が意味を持ち始める。儀式が年号に神秘性を付与する。儀式の主催者が新天皇である。天皇は呪術の主催者であると同時に呪術者そのものである。
 天皇制とは封建遺制である。近代社会とは無縁なものである。だから近代国家の典型的な国をアメリカに見ることがでる。アメリカ合衆国にあって儀式はあっても儀式の呪術性は排除されている。合理主義という思想が儀式の呪術性を排除してきた。