若葉して御 めの雫ぬぐはヾや 芭蕉 元禄元年
この句には前詞がある。「招提寺鑑真和尚来朝の時、船中七十餘度の難をしのぎたまひ御目のうち塩風吹入て、終に御目盲させ給ふ尊像を拝して」
脱活乾漆(だっかつかんしつ)造りの鑑真像は天平時代を代表する肖像彫刻である。このようなリアルな像が奈良天平時代に創作されたことに驚異を覚える。同じころ作られた作品に法隆寺東院夢殿に安置される等身大の肖像彫刻、脱活乾漆(だっかつかんしつ)造りの行信僧都坐像がある。鑑真像と並び称される天平時代を代表する肖像彫刻である。
瞑目した鑑真像には揺るぐことのない確固とした意志が表現されている。同じように法隆寺夢殿に安置されている行信僧都坐像にも強い意志の力が漲っている。
仏の教えが形となった姿である。温和な優しさに満ちた鑑真像からは想像できない強い意志が漲っている。日本に戒律を伝える揺るぎない使命感に満ちた鑑真は艱難辛苦の末、日本に漂着し、平城京にはいっている。
日本は中国の仏教文化を受け入れて、国家の基礎を築いていった。日本は中国の仏教文化圏の中で国家形成をした。中国人鑑真は日本国家の基礎を築く働きをした。
六月六日は鑑真忌である。鑑真が亡くなって九〇〇年後、芭蕉は唐招提寺を訪れ、秘仏鑑真像を拝み、この句を詠んだ。