梅が香にのつと日の出る山路哉 芭蕉 元禄七年
芭蕉は五一歳になった。この年の十月十二日午後四時ごろ亡くなった。旅先の大坂で病にやられた。
元禄七年春、芭蕉は野坡と両吟歌仙を興行した。その発句である。『俳諧炭俵集』の巻頭の句である。
『三冊子』には、この句と「なまぐさし小菜葱(こなぎ)が上の鮠(はえ)の腸(わた)」を並べ「この二句、ある俳書に、梅は余寒、鮠のわたは残暑也。是を一体の趣意といはんと、門人のいへば、師、尤とこたへられ侍ると也」とある。
「梅が香に」の句には山路の余寒が表現されているということか。
誰でもが普段に目にしている景色の中に余寒の真実を芭蕉は発見した。重大な発見であるにも関わらずに実に軽く表現している。ここに「軽み」と芭蕉が言った俳諧理念があるのだろう。
「のっと」という言葉に俳諧を芭蕉は表現している。「のっと」という言葉を磨いて日常の俗語を雅語にした。「のっと日の出る」と諧謔がこの句にはある。
「軽み」と「諧謔」とを表現した芭蕉名句の一つと言える。今でもこの句を口ずさむ俳句愛好家がいる。うなずけるわけだ。三百年前に詠まれた句が今も新鮮に読むことができる。